夜もだいぶ更けましたが、少しだけ自分の時間が余っているので、
本当の雑談記事を書いてみます。
(ほんとに雑談なので読み飛ばしてもらってOKです)
そろそろ五輪が開会だなんだとなって、とうとう首都高の値上げやら何やらも始まった昨今、急に大ごとになった小山田氏の過去の醜聞。
一言個人的な意見を書くとすれば「犯罪をいじめと言っていいのか」
とは思ったりしますね。
そこは昔から思っていることだけど、これからもっと世の中を良くするにあたって、
柔らかい言葉で包むのを時としてやめないといけないのかなと。
「暴力を体罰と言っていいのか」とかね。
私自身、人と上手く付き合えない人間だったので、
いじめに等しい行為をされたことがあります。
でも、時として、自分もいじめと相手が思った行為をしたこともあったかもしれない。
とはいえ、犯罪的な行為はしてないよな。と。そこだけは振り返っても思います。
小山田氏については色々な人が色々なことを思っているでしょうけど、
ともかく犯罪はまずいよなとは純粋に思いますね。
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ところで、私の人生の中でもっとも回数を聴いているアルバムかもしれない作品に、
Pale Fountains(ペイル・ファウンテンズ)のPacific Streetという、
1984年の1stアルバムがあります。
これは中学生くらいの頃、母親の職場の「同僚のお兄さん」(兄という意味ではないです)がCD-Rに焼いてプレゼントしてくれたアルバムでした。
確か、他にもらったのは、大体ネオアコ系で、Everything But The Girlの2ndアルバムだとか、Friendsというネオアコの知る人ぞ知るグループのアルバムだとか、
あとは・・・ネオアコのS&G(サイモンとガーファンクル)的な、Fantastic Somethingとかもあったか。
それと、これは(今思えば)ド定番ですが、The La'sなんかももらったかな。
私が音楽好きだということをどこかで聞いて(どこかっていうか母親でしょうが)、
色々焼いて聴かせてくれたのです。
まあ、と言っても中学生でJ-POPとか簡単な洋楽しか知らない自分には、
ネオアコはすぐには良さが分かりませんでしたね。
得てして、自分が青臭い時って、青臭い音楽の良さが意外と分からないものだったり。
当時はそれこそ70年代のディスコ系とか、AORとか、
もっと大人っぽい音楽の方が好きという感じで、
ネオアコ系はなんかダサいな・・・くらいの気持ちしか湧かなかったかもしれません。
今でこそプリファブ・スプラウトなんかもマストだなーなんて聴いてて思いますけど、
自分が青臭い時はコード進行は難しいし、世界観は斜に構えているし、
それでいてなんか青臭い感じもあるし、理解出来なかったなーとか思い出します。
The La'sなんかはシャキッとした良いメロなので、ストレートに楽しめていたかもしれませんけど、Pale Fountainsは当時はまだ分からなかったなーと。
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まあ、急にお前何の話だよっていう話だと思うのですが、
その自分のバイブル的なPale Fountainsって、日本人がこの名前を聞くと、
「あー、フリッパーズギターがカバーしてたよね」とか、
「オザケンとか小山田くんが好きだったグループだよね」
みたいな風な話になるグループなんですよね。
いわゆる日本におけるネオアコという80年代中盤~後半あたりのイギリス等のちょっとなよっとした軽いロックの括りは、
そのまま90年代初頭の渋谷系のイメージに繋がるわけで。
何だか、こう、自分の大好きな作品が、醜聞で一緒に汚れてしまったような気持ちになるというと言いすぎなんですが、そんな気持ちをここ数日抱えています。
それこそオザケンさんの不倫疑惑とかもそうですけどね(笑)
ほんと一世を風靡した人が年を重ねてから、あまり良くないことでまた名前が出てくる。芸能人、アーティストだって人間ですし、それこそそういった人は普通の常識とは違うベクトルに向けて生きていっているので、そんなこともあるだろうなーと普段は普通に受け止めているんですけど、
ただ、まあ、犯罪的な話となると、ちょっと悲しいなとは思いますね。
ここ最近、また改めてPale Fountainsを夜に流していたので(というか、今さっきまで流れていた)ほんと、何だかショックな気持ちを抱えていたりします。
氏のすべてが悪いということでもないでしょうし、優れたアーティストではあるでしょう。けれど、だからこそ過去の行いと、それを悔い改めずに現在まで来たという事実が重たいなーと思う今日この頃でした。
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理解出来なかった中坊が、いつの間にかそういった音楽を良く聞く20歳くらいの少年?青年?になり、
今では深く味わっているのか、軽く聞き流しているのか分からないけれど、よく聴く中年になりかかっています。時の流れは速いですね。
一昨日は子どもが独りで行動したがったので、迷子にならないように物陰で見守りながら後ろをついて行ったりする時間帯があったのですが、
そのせいで、夜は子どもが迷子になる夢を見ました。
何だかドでかいホテルみたいなところに宿泊しているのに、独りで行動したがって、大型のエレベーターに乗って他の階で勝手に降りてしまって、
探しても探しても見つからない。
最後に見た顔がニカッっと笑っていて、楽しそうで、いなくなって淋しくなり。
必死に探すもどうしても見つからず・・・
あ、ま、夢なんですけどね。
最後の方は、いや、これはどう考えても夢だわな。ってことで、目を開けて横を見たら普通に大の字で寝てましたが(笑)
でも、あの夢の中の子どもは結局最後まで見つけてあげられなかった。
何だかパラレルワールドのどこかで、自分の子どもの分身が迷子になっているような気がして、夢の続きでも見ないかなー。見つけてあげられないかなーとずっと気にかかってしまっている自分です。
日中ふとそんな全くどうでも良いことを思い出しちゃうと、ある意味現実に帰りますし、ある意味空想世界に行っちゃいますよね。
つまりある意味現実に帰るというのは、家庭を現実として見た場合、会社の駒としての働きとか、こういったブログというのは、非日常というか、本来の自分の人格とイコールでないというか。
ふと、何でもない一人の自分に戻ってしまうというか、ちゃんと育ててあげられるのかなーとかリアルに考えてしまいます(笑)
まあ、悩んでも仕方がないし、一つ一つ出来ることをやるしかないんでしょうけどね。
そして逆に会社やブログとか(ここも広告をつけさせていただいている以上、自分にとってはもはやパブリックな気持ちがあります)公の方を現実世界として見た場合に、
家庭の方は私的空間なので、むしろこっちが非日常なのかなとも感じたり。
どっちとも言いづらいのですが、ふと公な時間に、「私」な時間っぽい気持ちが芽生えると我に返るというか、
「これで人生いいんだろうか?」みたいな変な気持ちになりますね。
まあ、それが抱えるもののある人生ってことなのかもなーとか、
無理やりまとめてみますが(笑)
あともうちょっとだけ雑談させてもらうとすれば、
抱えるもののなかった頃は、自分の人生のピリオドについて想像すると恐怖しかなかったんですよね。
ある意味では毎日毎日それに怯えていたかもしれません。
今だって、それこそこれからだって、その瞬間まで恐怖はあるでしょう。
父親が亡くなってまだ半年未満。あの人はどんな気持ちでその時を迎えたのかなと想像したりもします。
でも、抱えるものが増えた今は、恐怖だけではなく、ほんの少しだけ甘美なものにも思えるんですよね。・・・というと、ちょっと美化しすぎかもしれませんけどね。
けど、何とか抱えているものを壊さないように未来を構築しないといけない。
自分の人生、自分の家族の人生をある程度は良いレールに走らせないといけない。
ピリオドは恐怖かもしれませんが、もし自分がそれなりにマシな人生を送れたとして、
その結果のピリオドだとすれば、その時は今に比べると抱えているものはきっと少ないだろうし、抱えていた荷物を美しい形で降ろせている。
ということになるかもしれないわけなので、
FIREだとかなんだとか、そういう華やかな、派手な未来はあまり想像しませんけど、
未来に今抱えている荷物が(荷物という言葉は本来相応しくないですが、ちょうど良い表現が思い浮かばないので、そう書いてみます)
そうなったらいいなーみたいなことを思ったりします。
今が物凄く辛い!みたいな気持ちはそこまで全然ないんですけど、
でも、プレッシャーは何気にあるんだろうなーと書いてみて思いました。
ほんと同じPale Fountainsを聴いていても、15歳の自分、20歳の自分、25歳の自分、
そして今の自分は、聴き手の状況が違い過ぎるなと。
これからも恐らくちょこちょこ聴くだろうと思うアルバムですが、
40歳の自分、50歳、60歳、70歳、80歳!?の時はどんな気持ちで聴けるのかなーなんて想像したのでした。
雑談がすっかり長くなってしまいましたし、普段の投稿内容と違い過ぎて、これでいいのか?という疑問がかなりあるのですが、折角書いたので投稿してみます。
とりあえず甘美なピリオドを迎えられるように資産運用を頑張るしかないですね!
WARASHIBEさんの六本木案件で大富豪を目指しましょう!!
・・・って、まあ、不動産クラウドファンディングでは大富豪や億万長者は無論無理でしょうけど、これからも自分のペースで案件を見て学んで、減らさずに増やせたらいいなーとは思います。
とりあえず無理やり本来のこのブログらしい話に戻して記事を終わります。
この記事のすべての文章を読んでいただいた奇特な方に、謝意申し上げます。
ありがとうございました。