こんにちは。NNSです。
次の考察記事を書くまで少し時間がかかりそうなので、
今日は雑談を更新してお茶を濁すことにしました。
よろしくお願い致します。
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えー、先日からちらっと報告している子どもの体調不良ですが、
何とかそれなりに良くなってきました。
金曜日には妻の方がたまたま有給休暇で出かける予定だったので、
(お出かけはそのイベント自体の中止によって流れました…)
その空きを利用して医療機関にかかることが出来、
月曜日から保育園へ登園することの許可証をもらうことが出来ました。
まあ、この許可証という制度もなかなか考えものの制度ですよね。
教育機関や保育園、幼稚園などからしてみれば、
医者がお墨付きを与えてくれることによって安心して(実際的に安心かは別として)預かれるということで意味がありますが、
医者からすれば、元気になった人にリソースを割いて、
「治療ではない診断」をする。
あるいはわざわざ体調不良者が出入りしている機関に元気な人を来させる。
しかも、私の子どもが今回かかったヒトメタニューモウイルスなんかもそうですが、
いわば大まかに言えば「風邪」なわけで、
そういう意味ではどこからが病気でどこからが元気かというのはグレー。
厳密に言えば、まだ咳は多少なりとも出たりします。
でも、それはもう喉も腫れていないし、子どもだからタンを上手く切れないことで残ってしまっているからの咳で、風邪症状としての咳ではないらしい。
けども、症状が0かと言われればどうなのよって話もありますし、
とはいえ、完全なゼロを目指してたら永遠にお休みになってしまう。
それこそコロナ禍においてゼロコロナを目指しても無理があるというのと同じですね。
それに、ヒトメタニューモもそうですし、その他の子どもがよくかかる風邪系の細菌やらウイルスによる発病って「かかることが自然」「かからないといけないもの」
というわけで、かかったから子どもも外に出るな、親も外に出るなとするのが、
果たして本当に子育て的に正しいのかというのも微妙。
私たち大人の子ども時代を振り返ってみても、
鼻水たらしてる友だちなんていくらでもいましたし、自分自身だってそうでした。
ある程度「ばっちい」のが普通で、そうして免疫力を強めていったという側面もある。
このコロナ禍で、新型コロナウイルスに関しては感染力が非常に強いので、
当然、同じ考え方で良いとは言いづらいですし、
全てに反対をするということではないのですが、
2歳やら3歳やらの子どもたちが集団生活の中でマスクを強要されて、
そして保育する方が子どもにマスクを強要することが仕事となっていたり、
保育する方のお顔も子どもはよく分からず日々いたり・・・
うーん。何だかこれで本当に良いのかなーなんてことはよく思いますね。
うちの子どもも今日も言ってました。
【マスクは嫌い】【本当はみんな嫌だよ】とかって。
このみんなは友だちだけなのか、親や先生も含んでいるのか・・・
他の子やら大人の言葉を聞いたわけじゃないので、正確性はないですが、
そういう言葉が自然と口をつくくらいには強要されてるんだなと思いました。
まあ、ともかく誰のせいとかが言いたいわけでもなく、
マスクをしていない人がいても、それを過度に責め立てることなく、
心に寛容な気持ちを持っていたいなとは改めて思いましたね。
本音を言えば登園許可証みたいなものを求められるギチギチした部分も、
それほど賛成はしたくないのですが、
まあ、これについては保育園などの機関にも自分たちの立場とか職員、経営を守る必要がある以上、こちらは預かっていただいている立場として従うしかないですし、
これまたしゃーないのかな・・・と。
えー、まあ、そんな雑談でした。
ちなみに、と書いている間にLINEがあり姪っ子がコロナにかかったと・・・
我が家と1つ違いで4歳(今年で5歳)の子ですが、重くならないことを願うばかり。
本当に広まってはいるんだなと改めて再認識しましたね。
最近交流していないので、そういう意味でのリスクはないですが、
遠くに住んでいるわけでもないですし、気にはかかる・・・
うーん、そんな感じです。
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ところで、そのままほんの少し雑談。
今週は子どものワチャワチャがあり、夫婦共々若干疲れました。
仕事量はそこまで非常に多いものではなかったですけど、
いつもと流れが違うとまたちょっと違う疲れがあったのかなと。
疲れが立て込んでくると意識も少しマイナスになりますね。
【自分は何のために生きているのか・・・】とか(笑)
私は小さい頃から父親との関係性があまりよくなかったこともあり、
…というか父親が自分を超えられることを恐れるような大人気ない性格だったので、
出る杭は打たれる的に私の個性とか才能というのは、
「矯正すべきもの」みたいにされてきました。
それでも意外と自分の個性とか性格が変わらなかったのは、
結果的には周りの大人とか、自分が好きだった音楽やら、興味を持ったものに救われてきたからなのかなとも思うものの、
それでも、心のどこかには【あんな風に親にされなかったらもっと自由に生きていたかもな】なんてことも思います。
私には私を一旦スポイルされたという感覚がどうしても強くあるんですよね。
ほんとここには書けないような壮絶なことがありました。
やっぱり大人になって冷静に考えれば、虐待であり暴力であり、毒親だったとは思います。(そんな親ですが、サンモニ等を見ながら毒親のニュースに「こんな親は本当にダメだな。信じられないぞ。」とよく言っていました…笑)
もっとも、もっと伸び伸びと育っていたら、今みたいな平凡な人生にはなってなかったかもしれません。それは良い方かもしれないですし、悪い方かもしれませんし。
あれほど色々されても、それなりに「オフコース」な人生を歩んでいるんだったら、
それこそそれがなかったら、だいぶ道を外してたかも。とも。
(否、親がゴチャゴチャ色々しても、意外と人の個性って変わらないということで、どっちにしても似た人生だったのかもしれませんけどね笑。でももう少し自由には生きていた気はします。)
私の子育てはそんなわけで、どうしても父親を反面教師的に意識しながらとなります。
とりあえず自分の親のように自分を超えられたくないというような気持ちで、
子どもの気持ち、個性、才能を削ぐような発言はしたくないですし、
もちろん、そういったものを積極的に伸ばせるような力は私にはないので、
ただ、見守ることしか出来ないのですが、
(これまた人のせいにするようであれですが、そんなやり方の親に育てられた以上、
積極的に子どもの気持ちを伸ばすという方法がイマイチ分からないんですよね。
そういうのが上手い親はきっと子どもが個性的に元気に育つのかなーと思います)
能力不足は感じつつも、せめてちゃんと見守ってはあげたいですし、
単純に言って「あなたが好きだ」ということは常々伝えたいと思っています。
でもまあ、あれですね、月並みかもしれませんけど、
【親の方が愛されている】というのは大体いつも感じます。
うちの子どもはママが大好きで、
パパはあまり好きじゃないということを、大体、常日頃から言っています。
「好きじゃない」「いやだ」とかを連発されてます。
でも、と言いつつ、やっぱり好かれてるのは当然分かります。
親なので好かれているのは、当たり前で親としては最低ラインなんですが、、、
でも、私のように親が嫌いという気持ちを明確に持ったまま見送った人にとって、
子どもに好かれているというのは、ラッキーだなーという気持ちになります。
まあ、ほんと「無償の愛」は親から子どもではなくて、
むしろ子どもから親に注がれているというようなことをよく思います。
これって当然、生まれて今に至るまでに注いだことの返報でもあるんでしょうけど、
恐らく、利回りで言ったら200%くらいあるんですよね。
注いだことは事実なんですけど、
たぶん注いだ倍、無償の愛が帰ってきてる気がします。
この感覚は親にならないと分からなかったなーと思います。
ほんとはっきり言ってダメな親ではあるわけですけど、
せめてそこの部分だけは【自分のために】キープしていきたいですね。
ちゃんと子どもの気持ちを尊重して、子どもと一人の家族として尊重することで、
自分への愛情の返報に期待したいと思います(笑)
子どもに生かされてることを積極的に楽しむという感じですね。
まあ、大人に近づくにつれて、
当然ながら事態は複雑になり利回り200%ではなくなってくるでしょうから、
その時が自分の試練ですけどもね。
でも、たぶん、ちゃんと相対していれば、
利回り100%未満になることはない気がします。
親は子どもに条件を付けますけど、子どもは親に条件は付けませんからね。
私だってボロクソにこうして父親のことを言っていますし、
また、そんな父親を放置した母親に対しても、恨みに近い気持ちはあります。
それに色々な事情があったとはいえ、私への学費の出し方なんかもケチられたというのも未だに感じています。それも人生をマイナスに左右したかもしれません。
が、それでも親は親で亡くなれば涙も出ましたし、淋しい気持ちもあります。
母親に関しても思うところは色々あれど、会えば仲良くはやっています。
それが子どもだよな・・・とか。
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全然、話は変わりますが、私は基本的にお酒を飲みません。
あるいは喫煙もしません。
(クラファン界隈のブロガーさんはお酒好きの方が比較的多い印象があります。
投資判断をしたら放っておけるからということなんですかね?
【個性】とか思いつつも、皆さんの飲酒量を他人ながら実は私はちょっと心配しています…笑)
ので、甘党で多少おやつとかを食べたがる時はあれど、
特に定期的に買い物をするという習慣がない。
例えば放っておいたら1ヶ月、1度もコンビニも自販機も使わない。
コンビニに行ってもATMコーナーでクラファン絡みのことをして終わり。
未だにセブンイレブンのレジに慣れていないくらい。
習慣的に買い物をしないので、趣味の買い物も億劫になって、
それすら買い物をしなくなる。
たまに「ほんとお金も使わないし、自分の楽しみって何なんだ?」
みたいなことを変な風に悩みます。
お金を使わないことは家計的には良いことですが、
とはいえ少し退屈に思う時もありますね。
(クラファン等の投資に多額使ってるじゃないかと言われればそうですが…)
そんな退屈も子どもがいると大体吹き飛ばされますね。
子どもはイベント作りの達人ですからね。
例えば小用を失敗してリビングが水たまりになるとか、
食べ物をぶちまけるとか・・・(笑)
まあ、その時々は【おいおい…】って気持ちにもなるわけですが、
とはいえ、誰かから自分が必要とされているというのはありがたいですし、
強制的にイベントが起こっていくRPGは、それなりに楽しいものかも。
そして先ほど書いたような愛情の返報性の利回り200%的な感覚。
人それぞれ色んな人生がありますし、
私自身もそれこそ父親に色々削がれたことも含めて、
違う人生を妄想、想像することも今でもあります。
家庭があることも窮屈につい感じてしまうことだってあります。
でも、私にはやっぱり家族があって良かったなとは思うんですよね。
自分一人だったらもっと精神的には貧困だったかもなと。
ということで、色々な雑念が湧いてくる時も多いですけど、
何とか生きていかないとなーと思う今日この頃でした。
ブログでのクラファン案件の考察は、
そんなわけで自分的にはイベント作りの一つとしてやっているかもしれません。
実利はあったらあったで嬉しいのですが、
【ないことが基準】になっているので、ないからマイナスという感覚はないかも。
そのあたりは良い部分でもあるのかもしれませんし、
だからブログのクオリティが上がらないという悪い部分かもしれません。
(それこそこういう記事にすら広告リンクを貼った方が実利はありそうですが、
さすがにそういうのは何となく気乗りしない…だから実利がないんでしょうね苦笑)
とはいえ、今度2人目が生まれたら、より時間も取れなくなるので、
たぶんブログのクオリティを上げるのは難しいでしょうから、
今はこれをキープしていけたらとは思いますね。
また次あたりで考察記事を書く予定ですので、
更新した暁には多くの方に読んでいただけたら嬉しく思います。
以上、かなりの「ザ・雑談」的な記事でした。
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