投資型クラウドファンディング愛好家の案件考察ブログ

不動産クラウドファンディングやソーシャルレンディング愛好家です。比較的高利回り案件を中心に考察をしています。※当ブログは広告紹介、リンクが一部記事に含まれております。

サンクコストについて考えてみる。

こんばんは。雑談ブロガーのNNSです。

 

どんなブログを立ち上げても暫くすると雑談ブログにしてしまうという、

そんな特性(?)を持っているだけに、

「ここもとうとうなってきたかー」と我ながら思っています(笑)

 

好きなんでしょうね。雑談を書くってのが。

というわけで、毎度ながらお付き合いください。

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今日はサンクコストについて考えてみることにしました。

 

まずは、サンクコストとは何ぞや。を一応書いてみます。

英語で「sunk cost」と書きます。日本語では「埋没費用」と呼ぶようです。

ぶっちゃけ、埋没費用って言葉は今初めて耳にしましたが。

 

詳しくはウィキペディアを見ていただくとして・・・

 

ja.wikipedia.org

 

ざっくり言うと【既に投じてしまったお金が返って来ないケースでは、そのお金はもう失くなったものなので、考慮しても仕方がない。考慮する必要がない。】

【現況の状況で物事は判断すべし】

 

というようなことです。

 

これはもう一つ細かく考えると、大まかに2つのタイプの話が考えられます。

【失ってしまった分を忘れて、また手に入れれば良い】という話と、

【かかったコストを失敗としたくないがために、

深追いすると、結果的に傷が更に広がることになる】

という話です。

 

前者については比較的分かりやすい話で、

よく書かれる例え話だと、楽しみにしていた映画、コンサートなどのチケットを直前に何らかの理由で廃棄してしまった。

 

これはもう廃棄してしまって戻って来ないものなので、

それについてあれこれ考えたところで無駄であり、

仮にこのチケットがもう一度買えるのだとしたら、本来は【買い】となります。

(無論、席が大きく変わるとか買える値段が違ってくるなどの条件もあるかもしれないので、

現実はそう単純ではないですが)

 

というのも【行きたいと思って買ったのだから、また行ける状況である以上、行くのが正解】ということですね。

 

でも、人というのはそう割り切れなくて、

失ってしまったお金を今回のコストに転嫁して思考してしまい、

【この映画は1500円だから見たいと思ったわけで、3000円は嫌だな…】とか、

【コンサート代が8000円なら何とかなったけど、16000円は無理だよ…】とか思ってしまって、行くのを断念してしまうことがあるということです。

 

これまた、ほんとのほんとにお金がなけなしで払えないのであれば、

【状況が変わっているのでそれが正解というか唯一解】かもしれませんが、

 

基本的にはそういうことはありえないわけで、

この場合は、単純に【悪い夢を見た】と思って買い直せばいいだけでしょう。

というか、単純にお金を落としたと思うしかない。

(まあ、実際、この場合はお金に近いものを落としているわけですが)

その件についての反省はするけど、それはそれとして、

罰のように楽しみを自分から奪う必要はなかったりします。

 

けどまあ、と書きつつ自分もそういう気持ちになることはいくらでもありますね。

 

何年か前にFXでちょっと損をしまして。(ちなみにロスカットでした。)

まあ、惰性でやっていた分で、正直あまり自分には面白いと感じられなかったので、

続けて取り戻そうという気持ちは全くなかったのですが、

何か節約してこのマイナスを取り戻せないかなと思って、

変なオリジナルの帳簿みたいなのをつけたことがあります(笑)

 

でも、何ヶ月か続けて、ある時、思ったんですよね。

【失ったお金は別にこんなことしても戻ってくるわけじゃないから無駄じゃね?】

って。

単に節約は節約としてすればいいし、それが辛いなら程々にすれば良いし、

何ならそれこそ、クラファン投資やらその他で、プラスが出たからといって、

何も浪費しないといけないわけでもなく、節約したいならすればいいし、

もちろん、プラスが出たことによって、

何か今まででは断念していた事をしたいならすればいいし。

 

どちらにしても、その以前の損失はもう終わったことで、

これをどうこう今に絡めること自体が無意味だよね。と思ったんですよね。

 

って考えてたら、「なんか、それって言い方あった気がする・・・」と思いまして、

【ああ、サンクコストってこれか】みたいに思い出して。

 

それまではただの雑学として名前を知っているくらいだったので、

おお、これだよこれ!ってなりました(笑)

 

この場合、精々私が被った損失は【意味不明な帳簿をつけてた時間】

くらいのもので、たぶん全て合わせても1時間もかかっていないので、

追加コストは小さかったですが、多少なりとも無駄なことはしましたね。

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ここまで前者の話と私の話を書いてみましたが、

私の話に関しては前者でも後者でもない微妙なラインの話でしたので、

(どちらかと言えば後者寄りですが)

次は後者である、【かかったコストを失敗としたくないがために、

深追いすると、結果的に傷が更に広がることになる】についても考えてみます。

 

クラファン投資家の皆さんも、過去に損失を被ったことのある方は、

ある程度いるのではないでしょうか。

 

マネオマーケットでの諸々とか、最近ですとクラウドクレジットの案件だとか。

投資成績としては取り戻したい。人生としてはプラスとしたい。

これは当然のことでしょう。

 

けど、これを【同じ事業者でもう一度儲けて取り戻そう!】と考える人は、

そこまで多くないのかなとは思います。

強いて言えば、例えばクラウドクレジットなど現在も営業しているサービスで、

【累計プラスで終わりたいから続けよう】という考えならあるかもしれませんが。

 

ただ、あるいはもうちょっと大きな括りで、

【ソシャレンで損した分は、ソシャレンで取り戻したい】

【クラファン投資でマイナスが出た分は、クラファン投資でプラスにしたい】

こういう思考であれば、持っている人もそれなりにいるのかなとも思います。

 

私自身もそういう気持ちが0かと言われれば、あると言えばあるかもしれません。

(と言っても私の場合は今のところ、確定したマイナスがクラクレの為替差損だけなので、

現状は取り戻すも何もないわけですが…)

 

という、こういった思考が、サンクコストという言葉に繋がりますね。

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ただ、これだと少し話が分かりづらいので、有名な逸話をそのまま引用すると、

 

70年年代初頭に英仏が共同開発していた「コンコルド」という旅客機が性能は高いものの、乗客の定員数が少なかったり、燃費が非常に悪かったりということで、

開発途中の段階で既に採算ベースには乗らないということが分かっていたけれど、

そこまでに巨額の投資をして始まってしまっているため、その既にかかったコスト(サンクコスト)を無駄にしたくないという気持ちのまま、

開発が続けられ、そのまま事業化はされたものの、当然赤字が膨れ上がり開発会社は倒産するに至った。

 

こういう状況です。

俗に「コンコルドの誤謬」「コンコルド効果」などと言うそうです。

ちなみに誤謬という言葉は知っていると意外と勉強になる概念で、

例えばこの単語を使った有名な言葉に【合成の誤謬】というのがあります。

これは「節約上手な母ちゃんが必死に節約すると自分の家計は助かるけれど、

それを全国津々浦々の母ちゃん(父ちゃんでも誰でも良いですが)がしてしまえば、

需要と供給のバランスが崩れたり、デフレが強まったりして、父ちゃん(でも母ちゃんでも誰でも良いですが)の給料が上がらなかったり、下がったり、最悪は解雇されたり・・・となって、回り回って自分の家計も苦しくなる

という話です。

 

藩主だった徳川吉宗は倹約に励んで藩政を立て直せたものの、将軍になって日本全国にそれを推し進めたらむしろ世の中の景気が悪化して、失政に終わった。

なんて話もよく例えで使われますね。

 

と、話はそれましたが、この「コンコルドの誤謬」・・・

 

【うちの会社でも目下進行中】というのがほんと、なあ・・・って感じです。

 

以下、ちょい愚痴になりますが書いてみますと、

 

「とある手柄作りたがりな人が代表に掛け合って、会社の基幹を変えるようなシステム構築を提案した」⇒「代表は提案してくる社員を喜ばしく思う性格である上、元々お気に入りだったので深く考えず賛成した」⇒「手柄作りたがりな人は自分が薄まらないように、大勢の人を混ぜずに【密室的】に導入したいソフトを決めて、上奏した」⇒「代表はよく考えずに承認した」

⇒「値段の安いシステムのため不具合連発、自社の社風に合っていない部分多、ソフト自体が古く動きも遅い」⇒「多くの社員がやる気を失う」「当の代表も使いづらさを感じていてあまり使おうとしていない」⇒「とはいえ捨てるのも惜しい」「損切り出来ずにマイナスの影響が膨らんだまま進捗中」

 

と、まあ、こんな話になっています(笑)

本来はそこの議論に混ぜてもらえれば、もう少し色々な提言も出来たのでしょうが、

発起人が自分が薄まらないようにという気持ちで(恐らくですが)、

関わる人数を減らすように減らすように手回しして、最終的には決まったので、

【排除します】(小池さん?)みたいな感じで排除されましたし、

まあ、しゃーないなと。逆に責任を負わなくて済んだと思えば良かったかも。

 

代表自身が既に使いづらさを言葉には出さないものの感じていて、

積極的に使おうとしていない以上、もはやプロジェクトとしては失敗。でしょう。

(小声で言うならば、ボトムの大部分を支えているどこぞのNとかNとかSとかそういうHNの人を混ぜなかった時点で上手く行くわけがないような…)

 

で、あれば、既にかかってしまったコスト(金額、人的)は一旦、それはそれとして、

これからの未来に対して、このプロジェクトがプラスなのかマイナスなのか、

あるいはイーブンくらいなのか。に対して議論をしないといけない。

そしてマイナスだと思えるのであれば、勇気を持って撤退しないといけない。

んですよねー。

 

でも、某手柄作りたがりさんは何人かの人に言ったらしいんですよね。

【まずは使いづらい、使えないじゃなくて、使うことありきで考えてください】

と(笑)

 

いやいや、これって典型的なコンコルドの誤謬じゃんっていうね。

直接聞いていないので、まあ、会社では口にしませんが。

 

第一、システムというもの自体が【人間が便利になる】【会社が発展する】【効率が良くなる】ために導入したはずなのに、

もはや【使うことありき】ですからね。

それって【システムに人間がストレスを抱えながら合わせる】ということですから、

本末転倒。

まさしく、コンコルドの誤謬、サンクコスト化したくないという気持ちの発露。

だなと。

 

えー、皆さんもお仕事、家庭、趣味、投資etc…

どうぞ、時には勇気を持ってサンクコストを心の中から捨てるということを検討されてみてほしいなと思います。

私もちょうど良い反面教師がいる、あるので、勉強になるなと。

 

無論、そういう風なジャッジメントが簡単に出来るかというと意外と難しい。

私がこき下ろしたシステムだって、(ぶっちゃけ私が。)手直しの案を出して、追加費用を投じて、徹底的に改善すれば、

恐らく長い目で見れば使えるものに出来る可能性もあるかなとは思います。

そういう我が社の話は別にしても、

本当にコンコルドの誤謬と言い切れるかは色々な物事において難しいです。

 

ただ、人間の心のクセというのは、サンクコストやコンコルドの誤謬という言葉で説明出来るように、理屈からあえて遠ざかってしまう一面がある。

というのは、知っておいて損はないのかなと思います。

 

特に冒頭で挙げた映画やらコンサートのチケットを1回にするのか、2回にするのかは、

まあ、人生においては割と些末な話ですが、

大きなプロジェクトであればこそ、様々なしがらみで損切りがしづらい。

 

それこそ人によっては、大金を投じたレバナスをどうするんだ。

みたいな話もこういうことと関わってくる事柄でしょう。

 

あるいはもう少し前の世の中の話で言えば、

【不要なアベノマスクをさっさと捨てれば良かったのに、勿体ない精神で保管しておいて、倉庫代が莫大にかかった】

【勿体ない精神や批判されたくない精神で配ることにして更にコストが膨らんだ】

とかもまさしく、このコンコルドの誤謬的ですよね。

 

私においても「全く着ていない若者向けのスーツを後生大事に取っておいたけど、カビが生えて、危うくもっと良いスーツまでカビさせるところだった」とかで、

身近に感じます。神様が気づいてくれたので良かった。

 

くっつけておいたら、他の衣服もカビカビになっていたかもしれませんしね。

 

というわけで、投資において損が出るということは必ずあるはず。

 

一番ダメなのは同じサービスなどに固執したり、取り戻そうとより高い利回り商品にリスク計算もせずに突っ込んで更に傷口を広げることですね。

これは一番危険です。(私なんかは特に気を付けないとです。)

 

逆に、投資において損が出たということをあまりにも重く見過ぎて、

期待値でプラスのはずの投資であるにも関わらず感情論で全て取りやめてしまう。

これもある意味では傷口を広げていることですね。

S&P500とかダウがちょっと下落したからって、全て損切りしてしまったり、

クラファン投資で1つの案件に疑問が生じただけで、他の案件を手数料を払ってでも買い戻そうとしたり。

これはまあ、傷口の広げ方としてはやんわりしたものなので、

「絶対になし」とまでは言えませんし、その判断こそが「コンコルドの誤謬を防ぐための措置だった」という可能性もあるので、簡単に結論は付けられませんが、

一般論で言えば、米国へのインデックス投資などを今の下落で損切りしたり、小さな利益で確定させてキャッシュ化して投資家を卒業するというのは、

それほど得策とは思えないですよね。

 

まあ、こうして書いてみると、

何を持って誤謬なのか。

本当にそれはサンクコストなのか。

というのはなかなか難しいところです。

 

ただ、それこそアベノマスクの倉庫での保管みたいに、

明らかに世論的にも状況的にも失敗が確定していた事象であれば、

理論でちゃんと追って丁寧な説明をすることで、

傷口を浅くすることは出来たのでは?とも。

 

と考えると、我が社の状況もほぼ失敗は確定しているような気がしますが・・・

 

というわけで、まとまらない文章にはなりましたが、

是非、投資や仕事、家庭、趣味などに、「サンクコスト」「コンコルドの誤謬」

という概念を持ってみるのも良いのでは?

 

と感じた今日この頃という雑談記事でした。

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