こんばんは。NNSです。
今はまだ色々と書くタイミングではないかなと思いまして、
あえて書いていないのですが、(そもそもブログで触れる必要がないと言えばない)
ちょっとした身の回りの変化がありまして、
やや気持ちが落ち着かない感じがあります。
最近ちょいちょい思うのは、
【記憶って結構簡単に失われるな】ということです。
自分で言うのもなんですが私は結構記憶力が良い方で、
本業においても営業とかから【何で俺の仕事なのに、俺よりあんたの方が過去の詳細な部分まで覚えてるんだ。】的なことを言われることが結構あります。
私から言わせればご自身が責任を持っているはずの仕事で、
どうしてそんなに忘れられるんだろう・・・と思わないでもないですが、
まあ、こういうのは得意不得意もあるので、私が特段責任感で覚えているというよりは
記憶力がたまたま良くてそれで覚えているだけだろうなとは思います。
ただ、ほんと最近ちょいちょい思うのは、【最近、よく忘れる】ということ。
正確に言うと【忘れる】というより【定着しない】と言った方が良いかもしれません。
ちょっと話は変わりますが、私の趣味の一つである音楽。
音楽というのは情緒的なものと一般的には捉えられていますが、
割と技術的なものでもあるのかなと思う時もあります。
例えば、普遍的なJ-POP。アレンジや作品としての完成度は別として、
それっぽい曲を書くことはいくらでも出来ます。
売れるために必要な技術というか理論的なことがある程度確立されているので、
その雛形に則って書けば、特段、作品を発表したことなんぞない私でも、
いかにもそれっぽい曲を書くことは出来ます。
あとはその曲をちゃんとしたアレンジャーがアレンジしてくれれば、
世に出せるものには仕上がるでしょう。
でも、じゃあ、その曲が人の心を打つか。人の記憶に残るか。
というと、まあ、たぶんそれはない。あるかもしれないけど、確率的には低い。
何より自分自身がたぶんその曲は記憶に残さないというか残せない。
つまり「過去の経験則」と「手癖」「習慣」でやっただけだからですね。
無論、そのそういった経験則やら手癖、習慣的なことで書いた曲(などの作品)を大ヒットさせられる人も世の中にはいます。
それは本物のプロフェッショナルの作曲家ですね。
専業の大物作家さんとか、超一流のアーティストならそれすら出来るでしょう。
それこそ織田哲郎さんとか桑田佳祐さんが作れば何でも売れるというような話。
凡百の音楽愛好家レベルはそうはいかない。
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まあ、ということはそれほど関係ないのですが、
最近の私は日々の暮らしが、
【過去の経験、手癖、習慣】だけで行われている感覚があるんですよね。
恐らく、それは、心配事があったり、精神的な余裕を失くしているから、
それ以上のことにまで気持ちが回らないんだろうなと思います。
それ以上・・・仕事で言えば発展的な発想であるとか、
必要な事柄を少し超えたレベル(覚えていなくても困らないけど、覚えているとより仕事が早まる部分)での記憶の定着がないんだろうなと。
恐らくブログにおいても同じことが言えるのかなと思います。
日々の雑談は雑談を書くだけなので出来る。
案件の考察なんかも自分なりの雛形とか見るべき、見たいポイントがあるので、
それに則ってご紹介することは出来る。
でも、それ以上のこと・・・
例えば、自分の中での新しい投資商品を見つけて学んだり、
スキームの細かい部分に新たな発見をして、それを紹介したり、今までと違った角度で投資商品や案件、あるいはそれ以外の何かを考察したり。
というところまでは手が回っていない感じです。
手が回らないというよりは気持ちが追い付かないという感じですね。
人って実はキャパシティを最も超えやすいのが【感情】の部分なんだそうです。
つまり、感情の部分で目一杯になってしまうと、本来はリソースに余裕があっても、
感情に囚われてしまって身体が動かなくなってしまい、手につかなくなってしまう。
暇だとか忙しいだとかってこと以前のレベルになってしまうらしい。
確かに私自身も仕事で非常に憤慨したり、ショックを受けたりすると、
しばらく、どうしてもそれに囚われてしまって、手が動かなくなったりします。
まあ、これはもう、生理現象なので、
時が過ぎるまでは、なるべく本当に簡単な仕事(何かを書き写すだけの仕事とか、不要な書類の整理とか)をして、自分で自分をなるべく落ち着かせるのですが、
まー、そういった余裕のなさが、今の自分には平均的にあるんだろうなと思います。
深刻な意味ではないのですが、だから、最近の自分は割と仕事において感情を使わず、上下させないで淡々とやることを心がけていたりします。
逆に言うと淡々と出来なさそうなことにはあまり首を突っ込まないようにして。
淡々と感情のせいで目一杯にならないようにして、
手癖やら習慣、過去の経験、知識で無難に片付けるということで仕事をしています。
ま、だから【記憶に残らない】【定着しない】【忘れる】んでしょうね。
それでも特に私に起因する大きなトラブルは起こっていないですし、
無難には日々を過ごせているので、これはこれで我ながら偉いですが、
やっぱりもう一人の自分は物足りないなという風に感じてもいます。
結局、心配事・環境の変化があるから、そこについての感情が裏側で纏わりついていて、私の元々ちっこい心の容器、脳のリソースが目一杯になってしまいがち、
そしてそんな自分を無意識的に理解しているからこそ、
余分な記憶は持たない、発展的な事柄は考えない。
という風に生きているんだろうなと思います。
ほんと、これはこれで一つの生活のあり方、日々の過ごし方なので良い。
と自画自賛するわけですが、ただ、やっぱりネック・・・というか気になるのは、
【後から振り返ると、その頃の記憶がほとんど残っていないことがある】
というところ。
例えば、クラファン投資なんかで言っても、心に余裕のある時期に出資した案件についてはどんなスキームでどんなところに着目して、どんな金額をどんな気持ちで投資したかが詳らかに思いだせるのですが、
そういう時期でなかったものは、【投資したことすら記憶から抜ける】
【何だったかよく分からない】ということがよくあります。
(昨日、とある方のツイートで、登録した記憶も投資申し込みをした記憶もない案件の振込期限が迫ってた。
でも、実際、確かに調べたら「していた」みたいなのを流れてきたので拝見したのですが、忙しくてそういう状況になってしまっているのかな・・・とか勝手に心配しました)
基本的に余裕がないからと言って、極端にいい加減な視点で投資判断をしているわけではないので、そこまで【打率】には影響がないとは思います。
ただ、やっぱり「もうチョットだけ あ~ 何か足りない」(好きな曲より拝借…)
的なところは残るので、こういう時の数字は多少は劣ってはしまうんだろうなーと。
3割が2割8分になったり、2割8分が2割5部になったりはしそうです。
それこそ、いつも毎度【運が良い】と言っている自分ですが、
こういう時の案件は、運に恵まれない結果になることも多そうですしね。
(普段の運の良さも、運が良いだけに見えて、もしかすると、何かもう一歩余分に考察していることが救われている可能性があるのかもしれません)
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というわけで、元気は元気ですし、仕事も家庭も順調。
表面的には淡々と出来ていて、投資も今まで通り行えている。
ブログは若干、愚痴というか雑談が多めにはなっているものの、
それなりには更新している。
けど、色々あって、微妙にアップアップしているし、
恐らくは、後から振り返ると、この時期のことはほとんど記憶に残らないんだろうなと過去の経験から考察するに思うという日々です。
記憶がないって後から振り返るとあまり面白くないんですよね。
それこそ子どもとの触れ合いとかが記憶にあまり残っていないのだと、
勿体ないですしね。
心配事がそう簡単に解消されるわけではないので、
しばらくはそんなテンションが続いていきそうですが、
保守的に日々を過ごすことで少しでも落ち着いて生きていこうと思います。
ちなみに、こういった精神状態、疲労状態(?)の時は、
何故か私においてはですが、80年代のユーロビートとか、ハイエナジーといった、
リズムが一定速度でひたすら続いていって、速くも遅くもないテンポで、
(90年代以降のユーロビートは高速ですが、80年代の初期のユーロはむしろテンポは割とゆっくりです)
コード進行も同じものを反復していて、底抜けに明るかったり、哀愁が漂っていたりという、シンプルかつ分かりやすい表現の音楽が無性に聴きたくなります。
ここのところYOUTUBEでもハイエナジーのMIX作品を1時間とか流して聴いているので、まあ、これは間違いないななんて我ながら思います(笑)
ま、ブログも今の状況は正直、自分自身満足出来る感じから程遠いのですが、
細く長くでも続けていけば、また「漲る」ターンも作れるとは思うので、
しばらくはこんな感じでダラダラっとした更新を続けていこうとは思っています。
お時間の許す方は、暇つぶし程度にでも読んでいただければ嬉しい次第です。
以上、何とか平穏に心配事が少し落ち着くまで過ごせればいいなーと思う私でした。
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