投資型クラウドファンディング愛好家の案件考察ブログ

不動産クラウドファンディングやソーシャルレンディング愛好家です。比較的高利回り案件を中心に考察をしています。※当ブログは広告紹介、リンクが一部記事に含まれております。

見たいものだけ。

こんばんは。NNSです。

今日も雑談を失礼します。

 

明日から本業の部署内で欠員が出るので、またしても忙しくなりそう。

何とか少しでも息つく時間が取れればいいのですが、

土曜日まで働かされているというフル社畜モードなので、

まあ、とりあえず命だけは大事にしようと思います(笑)

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ところで、我が家の話をちらっとするのですが、

我が家にはプロジェクターがありまして。

一時、ちらっと話題になった「ポップインアラジン」というものです。

…いや、というか私は全く詳しくないのですが、神様が興味を持って買いました。

私は後から【これ、なかなか便利だね】って気づいて、そもそもどんな商品なんだろう?って検索しまして、そうしたらマクアケでクラファンして云々とか、

一時、結構話題になった商品だと知った感じです。

 

まあ、普段は普通の照明として利用して、何か動画とかを見たい時は、白い壁にプロジェクターとして映像を映すという感じですね。

 

すっかり我が家の3歳児も【あらじんでなにか見たい!】とかっていっちょまえなことを言うようになってしまいました(笑)

 

子どもの趣味も少しずつ変わってはいきますよね。

ちょっと面白いなとも思う話ですけど、

1歳とか2歳とか最初の頃は、動画を見ても物語がそれほど分からないですし、

自我がまだそれほど芽生えていないので、

親が好きなアーティストの動画なんかを一緒に見て、真似したりよくしてました。

 

それこそ子どもは耳が良いですから、

〇まじろうとかで習った歌でも、結構上手に歌ったり。

子どもは絶対音で聞くので、キーも割とピッタリ合ってたりして、

(という自分が絶対音感があるので分かるわけですが)

【この子は天才か!?】なんて思ったりもしてました(笑)

 

でも年齢を重ねるに連れて、あんなに上手に音程を取って歌ってたのに、

他の動画に興味が移ってきたので、歌もあまりそれほど歌わなくなりましたし、

逆に保育園でみんなで歌ったりする機会が増えると、【大きく元気に!】がモットーで歌うので、お互いに影響されあって、みんなで音程を無視してがなるように歌ったりもするようになりますよね。

歌だけで言えば一旦下手になったかもなとか思います・・・

 

で、最近よく見ているのが、BabyBusっていう中国発祥(?)のチャンネル。

ちょっとした物語と、火事に気を付けようだとか教育要素と、マザーグースの替え歌と・・・みたいな感じで、パンダやら色んなキャラクターが出てくる動画です。

家でかけ流しにしている英語教材のお陰で、私もマザーグースにはだいぶ詳しくなりまして、マザーグースの替え歌でBabyBusの動画が色々作られていると、

【おお、今度はこの曲で行くのか!】とか変な視点で楽しんだり。

 

それこそ〇まじろうの動画なんかでも割とマザーグースの替え歌で色んなことを教える映像は多いので、「この曲ってどの教材で聴いたのか??」

とか色々混ざったりします。

そしてマザーグースの原曲の歌詞の和訳なんかを読むと、面白いなーと思ったり、

外国の子が遊んでいる動画をYOUTUBEで見たりすると、童心に帰ったり・・・

何だかよく分からないことをやっている私でした。

 

にしても、パッと今、頭に流れてくるだけでも、「Here we go round the mulberry bush」「The Muffin Man」「Row Row Row Your Boat」「The Farmer in the Dell」「Hickory Dickory Dock」「This Old Man」「Little Cabin in the Wood」「Ten Little Indians」…とか色々。

「Here we go round~」は赤ちゃんの手遊びで歌う「きゅうりができた」の原曲だし、

「Little Cabin in the Wood」はBabyBusで火事の啓蒙で使われていて、

やたら子どもが一時気に入ってたから聴いたなーとか、

まあ、ともかく脳内がマザーグースで一杯になっている私でした(笑)

 

比較的、日本でも歌われるマザーグースといえば「メリーさんの羊」とかですかね。

あとは「ロンドン橋」「静かな湖畔」「きらきら星」「幸せなら手をたたこう」とかもざっくり言えばそういう括りになるんですかね。

意外と「あ、これもなのね」みたいなのがあって、

変な勉強になっている今日この頃です。

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さて、で、何の話かというと、もう雑談なので何のオチもないのですが、

(20年前なら「核爆」くらいついていたかも笑。

まあ、今のご時世的に、核も爆もあまり適切ではなさそうですが…)

 

ふと子どもの姿を見ている時に思ったことがありまして。

 

【見たいものだけ見ているのは恐らく良くない】と。

 

子どもはちびっこですので基本的に何かを抑制するという力はほとんど備わっていませんから(それでも少しずつ成長しててすごいなーとは思いますけども)、

したいことだけする。見たものだけ見る。

それで当たり前なんですが、とはいえ、どこかで多少の歯止めはしないと。

というのは当然教育としてはありますよね。

教育なんてのは一切出来ていないどころか、自分が欲を抑制出来ていない人生なのであまり何とも言えない話ですが、とはいえ、一応、親としてどこかで歯止めはかけないと。みたいな気持ちは多少なりとも持って子どもには接しているかも。

動画もあまりに見過ぎたら、休憩で強制的に消したりとか。

 

TVを見続けるのも、動画を見続けるのも、正直大差はないのかなとも思って、

特にYOUTUBEだから悪とかそういう発想はないのですが、

強いて言えば、「テレビ以上に見たいものだけ見られてしまう」というのは、

良くも悪くもありますよね。

 

それこそ音楽で言っても、レコードだったら、いきなりブチっと次の曲には出来ないし、裏面だったら裏返さないといけなかった。

針とか諸々に悪いから聴く頻度も考えないといけなかった。

そういったものが、CDならもっとスムーズにチェンジが出来るようになって、

今では当然、アルバムなんていう野暮ったい形式にこだわらず、

好きな時に好きな曲だけ好きな長さで聴けるわけで、

ほんと、今の世の中って【見たいものだけ見られてしまう】という時代だなと。

 

過去最大の情報量が世界中、ネット中に流れていて、いつでも世界中の色々な情報に自発的にアクセス出来るので、世界は広がっている、自分の周りの世界も広がっている。

…はずなのに、むしろ実際のところは、逆に情報が多くなればなるほど、自分の見たいものだけで満足出来る情報量が手に入ってしまうので、

自分の世界が意外と広がらないわけです。

 

ネットがなくてテレビが1台しかなければ、自分が何か見たいものがあったとしても、休日のお昼時は、【囲碁のNHKトーナメントを見ないといけない】とか、そういう制約があるわけですが、(実際は2台はあったかもしれませんが、我が家の日曜の昼は囲碁でした笑)

今はそういう強制的に見たくないものを見るというのは減ってるんだろうなーと。

そして、それが故に自分の世界が意外と広がらないってことがありえるだろうなーと。

そんなことを思うんですよね。

 

それこそ最近の私は家庭の方針で音楽が聴きたくても、子どもの英語教材を掛け流しにしていたりする。ぶっちゃけ自分が聞きたいわけではない。

でも、まあ、折角流れてるんだから…ってことで耳を傾けると、たまに笑っちゃうような面白い話があって低いリスニング力でも意外と理解出来て、

理解出来るとそれが面白くなって前後の話も何となく分かるようになって。

(実は親が勉強になっているという気も…)

 

で、気づけば、なんかマザーグースを聴いてたり・・・

 

無理ない範囲の強制的な状況が、視野を広げるってのはもしかしたらあるのかもな。

なんて最近とみに思ったりするんですよね。

新聞とテレビ、ラジオで限られた情報を得て、限られた流行歌を聴いて・・・

ある意味では退屈な日常ですが、人としてのバランスは保ちやすかったかも。

 

まあ、とはいえあまり何かを強制しすぎれば、私の父が私に男らしさを求めて、色んなことを強制的にやらせようとして失敗した。

みたいなパターンもあるので難しいですが(苦笑)

 

ちなみに私の世代は、中学生くらいでPCが家庭に普及して、携帯が高校生くらいで持てたという、ある種、最後のアナログ世代なので、

(口約束で待ち合わせしてた最後の世代?笑)

今と昔の対比は結構頭の中でしやすい世代かなとも。

 

というわけで、子どもももう少し大きくなったら、強制っていうのとはちょっと違いますが、「やりたいことをやりたいだけやらせる」ではなくて、

何かそうでもなさそうなことも、

参加するように仕向けるってのもありなのかなーなんて思いました。

体験ってのは大事でしょうからね。

 

まー、そうなると、自分自身もある意味お付き合いで興味のないことに参加しないといけなくなりそうなので、それはそれできついですけどね。

例えばキャンプとかどうしても好きになれないのですが、(だが元ボーイスカウト笑)

こういうのも子どもにとっては貴重な体験かもな・・・とか。

 

そんなことを最近思いました。

 

で、えー、投資もそういう側面はあるかなと。

【見たいものだけ見る】【やりたいことだけやる】だとどうしても視野は狭くなる。

 

クラファンが好きだからと言ってクラファンだけでは広がらない。

他の投資法もそう。

それこそインデックスが安全性が高いだろうと統計的には言えるのだとしても、

インデックスだけやってただ寝ていれば良いでは、知識としては広がらないのかも。

 

また、同じ例えばクラファン投資の中でも、利回りの高い案件ばかりを見ていると、リスクへの感覚がマヒしそうですし、逆に安全性の高い案件ばかり見ていても、どうしてもユニークな案件で見識を広げるのは難しい可能性も。

 

そう考えると、投資するか否かは別として、普段、参加しないような事業者の案件をあえてよく読み込むというのも、あるいは勉強になるのかなとかも思いますね。

 

どうしても誰であれ、人は見たいものだけ見てしまうものだとは思いますが、

「だからしゃーない」で終わらずに、「必ずしも見たいものとは違うけど、一応、見ておくか」みたいな、

何というか、、、【横道にそれる】的なことも大事かなと思います。

 

それこそ政治の思想で言っても、右寄りの人は左の人の文章を読む方が良いでしょうし、左寄りの人も右の人の文章を読む方がきっと良いんでしょうね。

同じ事柄を逆の考え方の人の文章で見ると、また別の視点があるでしょうし、

仮にそれが受け入れられないものだとしても【敵を知る】的な意味はありそうです。

 

まあ、でも、政治信条なんかは特にかもしれませんが、「下手に自分の気持ちと違うことを知ってしまうと、自分の気持ちにブレが生じるかもしれなくて、怖い」という気持ちでそういった行動を人って拒否しがちかもしれません。

音楽で言えば極々普通のJ-POPアーティストを【歌上手すぎ!】って思ってたのに、音楽に詳しくなってゴリゴリのソウルとか聴いちゃうと、【これは別次元…】ってなってしまって、元々応援していたアーティストが色褪せて見えちゃうとかってことが、

若かりし頃の自分にもそういえば、ありました。

難しいですよね。知れば知るほど、ある意味では失うものもありますからね。

ちょっと例えは違うかもしれませんが、人との付き合いも、

「仲が深まれば深まるほど、近づきつつ遠ざかっていく」みたいなイメージを持つことがあります。たぶん、仲が深まるほど、自己と他者の違いがより鮮明になるから。

かなーとか思うんですが。

 

ま、もう少し観念的な話ではなく、現実的な話で言えば、今回のロシアの軍事侵攻について、ロシアサイドのストレートな意見というのを日本で知ることは難しいですが、

ロシアの行動に賛意とかそういう意味ではないにせよ、相手の立場での意見表明を読んでみると、また違う学びがあるのかもな。なんてことも最近はよく思いました。

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まあ、結局あまりまとまりませんでしたが(いつも通りですが…)、

強いて言えば、前も書いた話かもしれませんが、

「見識は広げておくに越したことはない」「見たいものだけ見ていても今の世の中は過ごせる時代だけど、あえてそうでないことも見ておくのもいいのかも」

そんな感じですかね。

 

私はあえて自分をポジティブに表現するとすれば、

【身近な人の興味を持っている事柄を一緒に楽しんでみようと出来る】というのはあるので、子どもがBabybusを見ていれば一緒にある程度見ますし、神様がw-inds.というアーティストを応援しているので、今や私もほぼファンってくらいの知識はあったり、

まあ、ここは自分の数少ない(?)良い部分かなと自画自賛してみます(笑)

 

というわけで、ダラダラとした雑談記事でした。

色々書きたい記事、書いた方が良い記事なんかもありますが、

ちょっと時間不足なので、順次書いてみたいなとは思っています。

またその際はどうぞお付き合いくだされば嬉しいです。

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