投資型クラウドファンディング愛好家の案件考察ブログ

不動産クラウドファンディングやソーシャルレンディング愛好家です。比較的高利回り案件を中心に考察をしています。※当ブログは広告紹介、リンクが一部記事に含まれております。

誰にも分からない。

おはようございます。NNSです。

今日も雑談を失礼します。

 

「誰にも分からないんだよなー」と思ったという話を書きたいと思います。

途中どんどん話がずれていくので本当にだるい感じの記事になっています・・・

 

私は30代後半。

小さい頃はテレホンカードで電話してましたし、カセットやCDのウォークマンでしたし、ビデオをダビングしてましたし、

近くのコンビニとかカメラ店にフィルムの現像やらプリントやらをしにいってました。

そういういわば昭和っぽい風景がギリギリ分かる世代と言えそうです。

 

一方で中学生の頃からADSLや携帯電話が一般に普及し始めたので、

デジタルとそれなりに馴染みがある青春時代を過ごした世代でもあります。

 

小学生の頃までは分からないことを広く情報収集したいと思ったら、

ネットで検索という手段ではなく、それこそ図書館に行く。とか、

ネットを使うとしてもISDNでネットに接続して、

「ニフティの好き者の集まり」で聞く。みたいな感じでした。

もっとも私はさすがにニフティは見てただけでしたが。小学生でしたからね。

親父さんはたまにそういうこともやってたのを横目で見てました。

 

話はちょっと横道に逸れますが、森高千里さんの曲に「青春」という曲があります。

1990年の1月に両A面シングル(の2曲目なので現在はB面っぽい扱い)として

発表された曲で、そこまで有名な曲でもないものの、

ファンであれば、まあ、普通に知っているなって感じの曲です。

内容は普通のJ-POP調で、彼氏に振られた女性が私はあなたがいなくて淋しいけど、

青春を満喫してるから大丈夫だよ。みたいなことを言う曲です。

何故か森高さんの曲って、男性に振られる(+泣く)曲がやたら多いんですよね。

あのルックスで振られるってあまり想像出来ないんですけどね。

そういう歌詞が男心をくすぐるのはあるかなーとかは思います。

俺は応援するぜ!みたいな。

リアルタイムでそういう歌詞で曲が発表されるわけですから、

(私みたいに30年後とかに聴いてるわけじゃないのでw)

当時の状況も考えればそんな風に応援したくなる人はいくらでもいたでしょうね。

 

まあ、どんどん話がそれてますが・・・少し続けると、

【でも私は自発的に生きてます。次を見つけます。元気です。】

みたいな歌詞が多いのが独特だなと思います。

 

普通、振られて悲しいだったら男を責めるとか男にもたれかかる女性になるし、

逆にもっと自発的な雰囲気を出すなら「振られる」じゃなくて「振る」のかなと。

森高さんと言えば歌詞の特異性もあってアイドルであり、女性アーティスト枠でもあるということで一般には自立して生きているタイプに思われがちながら、

意外と歌詞は相手に一方的に振られている系が多い。

まあ、九州出身だし男を立てる的な文化もあるのか、それとも戦略か・・・

このあたりは子どもとかと聴いていて少しフォローしないととか思うわけですが、、

(あとは当たり前ですが時代が違いすぎるので、今より300%増しくらいで、

男とか女が歌詞にガンガン出てきますね。当たり前ですが。)

まー、そんな青春という曲に、「来週には欲しかったパソコンも買うわ」

という歌詞がありまして。

今聞いたら、そこは全然違和感のない歌詞なんですが、

(逆にちょっと前の部分に車はあなたと同じ外車にするけど中古でいい。

みたいなフレーズがあって、いやー、バブリーやなーと思ったりします笑)

 

「1990年(制作で言えば1989年)でもうパソコンが欲しかったんだ??」と。

確か我が家にもあったNECのPC-98とかってシリーズが売れてた頃ですよね。

windows3.1とかよりも前ですし、こういうPCで森高さんは何をしてたんだろう…

今思うとそれほど楽しいことは出来なさそうなんですけど、

何か楽しいことがあったんでしょうかね。

 

私はこういうPCで缶ジュースのドンジャラとか脱がせポーカーとかやってましたが。

PC-9801Pi2を楽しむ(2)

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とまあ、ひとしきりどうでも良い話を書いたところで、本題にやっと戻るのですが、

【というわけで今や何でも検索することが染みついているな】

 

と自分に対してよく思います。

絶対に出てこない個人的な用事の困りごととかも、

【嗚呼、検索出来たら良いのに】みたいなことを思いますからね。

例えば家のどこにあるか分からない子どものおもちゃとか(笑)

もっと高度に世の中が発達して全てのおもちゃに特殊なタグとかがあって、

(実際そういうタグ自体は世の中に出回ってますが)

読み取りが出来る機械が家にあったり、家自体が読み取り機みたいになってれば、

そんなことも可能かもしれませんが。

 

でまあ、なので【今後の投資の行く末】なんてものも検索出来たらいいのに。

誰かが教えてくれたらいいのに。みたいなことをよく思います。

 

もちろん、その何というかいくらでも色々な意見を検索で知ることは出来ます。

私自身も色々な意見をここに書いているとは思いますし、

それを読みに来ていただいている方も実際いるとは思います。

 

でも、当たり前ですけど正解ってのは誰にも分からないし、

恐らくかなり精度を高く現実を直視出来ている方はいるんでしょうけど、

その人の予想が必ず当たるという保証があるわけでもない。

 

私世代でも「検索で答えが知りたい」と思うわけですから、

もっと若い世代であれば、もっとその思考は強いんじゃないかなと思います。

逆に上の世代だとまた少し検索という事柄への取り組み方も違うかもしれませんが。

私の亡き親父さん(生きていれば70歳くらい)は、PC業界で長年勤めていたのに、

「安易に検索するな」みたいなことをよく言っていました。

何でもかんでもちょっと気になったからって検索してみっともない。みたいな。

 

まあ、その思考自体はあまりよく分からないというか意味不明な部分もあったのですが、ざっくり言えば、少し気になったから調べて、それっぽい答えだけ拾って分かった気になっても小賢しいだけだ。

みたいなことが言いたかったんだろうなとは思います。

ある意味では正解と言えばそうかもなーとは思いますが。

 

ただまあ、検索してレシピを読んでその通りに料理を作ったからといって、

料理が身についていないかと言えば実際に手足を動かしてる以上、作ったでしょうし、

仮にそれが作れていないと言ったところで、現実に美味しい料理は出来てるし、

そうやっている内に、多少なりとも脳内にも料理の知識が蓄積するわけだから、

「考えながら使えば良いんじゃん?」みたいな気持ちですけどね。

 

ウィキペディアで見たことを丸暗記するんじゃなくて、

自分で多少なりとも考えるというか。言わば疑うとも言えるかもしれませんが。

検索して検索結果を見て、そこで脳を動かして考えて疑って、あるいは賛同して、

そうやって脳が動いた結果が何らかの学びであり出会いなのかなと。

 

ChatGPTとかも全く同じことですよね。

それを使って答えそのものを知ろうとすると難しくなるけども、

答えに近づくためのツールとして使うのであれば面白い。とか。

 

極論「ChatGPT(ウィキペディアでもグーグル先生でもなんでもいいですが)がOOって言ってたから、俺はそう信じたのに。あいつのせいで俺は騙された!責任取ってくれ!」みたいな思考になっても、

結局は自分の人生は自己責任だよなー。みたいな。

 

そういった雑多な情報、そこを、どう受けるかかが、

自分で自分にかけられる「スパイス」の部分かなと思うところです。

本来スパイスっていうかメインなんでしょうけど、

今や世の中に正確な情報が溢れている(誤った情報も溢れている)ので、

自分が手足を動かすというより、最後のジャッジをする感じで、

自分で自分をスパイス的に使う感じはありますよね。

 

それこそネットで拾ったレシピを見て、その通りに作るもよし、

ちょっとこれだと肉体労働者には塩分が足りないか・・・?と思って足すもよし。

みたいな。

 

まあ、そんなわけでダラダラ書いてきましたけど、

結局、そんなこんな言ってる間に投資の行く末がどうなるかですよね。

 

今のところこれといった悪い状況は特にないようにも思えるのですが、

不動産の界隈って自分は仕入の方が大事である関係で、

「さりげなく悲観論を出してきて、安値で買い叩こう」みたいな流れもあるので、

(逆に世の中こんなに不安がいっぱいだから、不動産買ってインフレに備えましょうみたいなノリの広告もたくさんありますが笑)

 

何が現実か分かりづらいところもありますよね。

 

不動産クラウドファンディング事業者は不安なんて煽っても無意味なので、

そういった発言は基本的にないですが、

その「ない」ことをそのまま受け取って安心と取って良いのかはまた違う。

 

ので、検索でもして答えを知りたいところですが。

【不動産クラウドファンディング 大丈夫】とか。

当然、こんな黎明期の投資法の未来が分かる人なんてなかなかいないわけで、

答えはないです。

 

それこそそういった単語で上位にランキングしている私のブログは、

見ての通り、森高とかそんな話しかしてないので無意味ですしね(笑)

 

まあ、結局、自分の頭で考えるしかないんだなー。と改めて思います。

正しいか間違っているかは別として、昭和世代なら自分で考えるしかなかったわけで、

ある意味、こうした黎明期の投資法は、まだ昭和的(は大げさですが)というか、

自分で考える余地が残っているのかもしれません。

 

それが良いのか悪いのかは何とも言い難いですが、

自分で考えるというプロセスを大事に投資参加していきたいと改めて思った私でした。

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だいぶダラダラ書いてしまいましたが、

自分なりにはストレス解消になったのでそのまま更新してみます(苦笑)

次はもう少しちゃんとした記事を書きたいなーと思います。

引き続きよろしくお願い致します(__)

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