こんにちは。NNSです。
ここ数日は妙に体力切れな感じがありまして、
まともな更新が出来ませんでした。
金曜日にライブに行くので前後で仕事を片付けないと・・・
というのが今週は一つあって、
そして昨日は土曜出勤(たまにある6連勤…週3休みどころか週1休み…)でもあり、
金曜日のツケを払って頑張りました。
来週以降は先の記事で報告した第二子絡みのことでどうしてもイレギュラーが起こりやすくなりますし、それこそもう仕事を離脱することは決定しているわけなので、
【上手く自分の抱えているものをクローズする】という努力もしないといけず、
なかなか難しいですね。
日々嫌というほどやることがあって、1日1日とかあるいは刻一刻と片付けないといけないタイプの業務はある意味、離脱する前日までそれなりに出来るわけですが、
多少なりとも長いスパンで見ていかないといけない業務は、
【程よくあえて関わらない】という判断もしないといけない。
中途半端に関わってしまうと離脱するのに責任を負わされてしまうし、
負わされても負えないわけで、結局は多くの人に迷惑がかかる。
どこかでスパッと「これはもう関われない」ってすることも大事だよなと。
ただ、その離脱タイミングが胎児さんがとにかくクルックルなので分からないのが難。
まあ、そんなこんなで精神的な疲労もあるのか、
一昨日も昨日もそれなりに早い時間に寝られたのですが、
なかなか疲れが取れないなーって感じです。
それにしても、あまり疲れが溜まったり、寝不足が続くと、
【自分ってなんだろう】みたいな感じになる時がありますね。
その何というか、、、自己嫌悪とかそういうことともまた違って、
【思考している内容が自分がしていることのように感じられない】みたいな。
主体的に生きていない感じがするというのが強いて言えば近いかな。
無論、日々それなりに主体的に生きているわけですが、
(このファンドに投資しようとか、この案件を記事に書こうとかも含め)
それでも、何かこう納得感がないままやってる感が出てきます。
たぶん、深い思考まで行く時間的な余裕とか脳のリソースがないんでしょうね。
何となく上っ面で生きている感じがします。
まあ、でも、子どもと生きていると否が応でもイベントが起こりますから、
良くも悪くも上っ面で必死に生きる感じにはなりますよね。
自分の内面と深く向き合って内省的に過ごす…なんてのはないですからね(笑)
これはこれで強制的に生きる道があるという幸せもあるとは思います。
というわけで、これを書いている今は色々ありまして、
約1.5時間から2時間程度、妻様と御子様と離れて自由時間ですし、
それなりに寝られてもいるので、多少なりとも自分らしく思考していられている。
そんな気がしている。ような気がしています。
そんな今でした。
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さて、少しだけクラウドファンディング投資のことも書いてみたいと思います。
と言っても、このまま雑談です。
【クラウドファンディング投資の心構え!】…というとちょっとかなり大げさですが、
そういう話について書いてみます。
何度かこのブログでも書いていることですが、(検索したら結構出てきた笑)
何度も書いているということは、それだけ自分的には大事だと思っている。
ということなんでしょうから、再度書いてみます。
【程よく飽きるのも良い】【執着しなくなってからが良い投資】
こういう話です。
クラウドファンディングだけではなく投資全般・・・
あるいは投資だけではないことですが、人って執着する生き物ですよね。
それがどの程度なのかは人それぞれ違いますけども、
誰しもつい何かに執着してしまうことはあるんじゃないかなと思います。
投資全般で言えば【ポジポジ病】的なのはよく聞きますし、
クラウドファンディング投資とか、同じくファンドとして(広義の投資でもある)馬に出資する一口馬主なんかでも共通して聞かれますが、
(何気にスキームが近いから共通した出資行動が見られます)
【何でもかんでもついポチる】的なことですね。
(一口馬主界隈では、気になった馬に気軽に出資申し込みをしてしまうのを「ポチる」と言ったりします。
クラファン投資も同じ感じがありますよね。)
分散投資とかと言えば聞こえは良いですが、のべつ幕無し何でも投資申し込みしてしまうというのはある意味、この投資法への執着的なこともあるかなと思います。
まあ、もっと身近な話で考えてみても、
自分のライフスタイルに執着する人もいるでしょうし、
ダメな恋人や友人に執着してしまう人もいるでしょうし、
コレクターというのも近いところがあるでしょうし、
嗜好品的な食べ物とかでも執着はありえる。
とにかく、人は良くも悪くも執着する生き物なんだろうなと私は思います。
そして、私は比較的その執着が強い方の生き物かもしれないとも思います。
一度それにハマるとかなり強く関わっていこうとしまう。
ここもそうですね。クラファン投資にハマったら、ブログまで書いてしまうという。
普通はハマってもブログまではやりませんからね。ハマりやすいタイプなんでしょう。
でも、私もそうは言っても人生70年としてみたらもう折り返し的なところ。
それなりに学んでいる部分もありまして、
【執着している間は仕方がないけど、それが飽きてきたら深追いしない】
みたいなのは上手になったと思います。
簡単に言うと【飽きたら、その飽きたという心境をよく見つめて、そこからは無理をしない】ということですね。
今はまだクラウドファンディング投資とか不動産クラウドファンディングに対して、
飽きるという気持ちまでは行っていないと思います。
ただ、そうですね、、少し昨年の盛り上がりに比べると今年は大人しいので、
そのあたりで飽きの方向に促進させられているようなイメージはあります。
まあ、好きだったもの、ハマっていたことに飽きる。
というのは悲しいことでもあるのですが、
それについてちゃんと見つめてみるとまた違うこともありまして、
【飽きたとしてもそれまで得てきたものは有益な形で残る】ということもそうですし、
(只今、とある店舗でこれを書いていますが、昔ハマっていた70年代の洋楽がインストVerでかかっています。当然忘れていない。知らなければただのBGMですが、知っているとふと思い出に浸ったり良い気分転換になりますね。こういうのも有益かも。)
【飽きてきてからの方がフラットに見られるので冷静で良い判断が出来る】
ということもあったりするなと自分では思ったりも。
年を重ねることの良さってある意味ではこういうところに出てくるのかなと。
若くて何かにハマっていて熱狂的に突き進むことの良さ、格好良さはあるものの、
今まで積み重ねてきたことを頭の中に残しつつ、
脂ぎった感じが程よく抜けて、冷静にフラットに物事を見られて、
「ちょうど良い判断が出来る」「無理をしないで対処できる」
というのはアリかなと。
ちょっと話はずれるのかもしれませんが、
私は小さい頃将棋が好きだった関係で、将棋関係のニュースを見ることがあります。
と言ってもOO九段が勝ったとか藤井さんが珍しく負けたとかその程度。
棋譜すらほとんど見てないわけですが。
で、たまに思うのは「早指しの方がむしろ年取った人が強い」というのがあって。
普通に考えると年を取った人は反射能力が劣ってスピード勝負では負けそうですが、
むしろ意外と逆のケースもあるみたいです。
集中力、スタミナ、気力的な部分は若い人の方があるけれど、
年を重ねた人は場数を踏んでいるので「いい塩梅」的にヤマカンでも答えが出せる。
みたいなことがあるらしく、
深い読む力に定評のある藤井さんに長丁場で勝つのは至難の業でも、
スピード勝負になった時はあるいは可能性が出てくる。みたいな。
実際、私も仕事をしていてレベルはまるで違いますけど、
何かちょっとしたトラブルとか急ぎで対処すべきことが出てきた時も、
たぶんもっと若い頃の方が高いクオリティの対処をしていた気がするんですが、
今の方が場数は踏んでいるので、「まあ、たぶんこんな感じで取り急ぎはやり過ごせるだろう」みたいな達観でこなしていける仕事もありますね。
たぶんタイピングの速度であったり、物事の消化スピードは落ちていそうですが、
それでもこういう思考の良い意味での端折り方で、
「昔の自分に勝ててる」みたいなことは感じたりします。
要点だけ掴めてれば大事故は起こさないなとか。
あまりクラウドファンディング投資に関係ない感じの流れになってきてしまいましたが、そういうわけで「ちょっと飽きてきたな」と思っても、
そこからの方が良い案件を見極められるようになったり、
「何でもかんでもポチる気はしなくなってきた」なんて気持ちになってからの方が、
投資という自分のお金を預ける大きな行為的には実はプラスに働くかも。
みたいなことはよく思うんですよね。
以前だったら、例えばゴコウファンドさんとかエードMyバンクさんの新規商品が出て、
それを細かく見てみたりしていましたが、
今は、商品の概要を見て【ああ、ロードサイドか。だったら普通は定借だよね。あ、やっぱ定借ね。なるほど。】みたいなさわりで何となく分かったり、
時間が限られているというのもありますが、
事業者さんごとの特徴的なものも掴めてきてはいますし、
少しずつ私も脂ぎった感じが抜けつつはあるので、
逆にそうなってからの方が記事としては良いものが書ける?
なんてことになったら良いなーなんては思いますね。
(この2社さんの案件はインカム型で悪い案件とは思わないのですが、権利が定借とかで、長期型で利回りが地方かつ5%前後だと、んー、そこまで積極的に行きたいという感じではないかもしれません。私がもっと年を重ねていて値動きが大きいと必要になった時に厳しいみたいなことならまた違うかもしれませんが、今は積立投資の方が有益かも?)
もちろん、最終的な投資判断をする時に書面を見るとか、
そういった部分を端折るというのはかなり危険がありますが、
まずファーストインプレッションで「こんなイメージ?」
みたいに端折って見られるようになるというのは良いかなと。
少しずつ自分も限られた時間と限られたリソースの中で、
そういったイメージも使いながら引き続き人生、頑張っていくべ。
みたいなことを思ったという呟きでした。
まあ、この先、また何か(このブログで書くかは別として)ハマるものもあるかも。
その時は年齢は重なっているにせよ、その事柄においては少年のように頑張れる…
かもしれませんし、頑張れないかもしれませんが(笑)
そんなことに出会えるのを楽しみにしつつ、
今は、こうして色々な縁の中で始まった、このブログやクラファン投資を、程々脂ぎった感じが抜けつつも、引き続き熱心に取り組もうと思う私でした。
以上、消す予定ではないつぶやき・・・雑談記事でした。
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