投資型クラウドファンディング愛好家の案件考察ブログ

不動産クラウドファンディングやソーシャルレンディング愛好家です。比較的高利回り案件を中心に考察をしています。※当ブログは広告紹介、リンクが一部記事に含まれております。

間違っているかもしれないフィーリング。

※追記:10/24 16時半頃に大きく追記、修正をして記事を完成させました。

 

間違っているかもしれないフィーリングについて書いてみます。

フィーリングと書くと山本潤子さんの顔が浮かんでくる昭和な私の脳ですが、

当然ながらそういう話ではありません。当たり前か。

 

時間が大体10分程度しか今取れないので、

後で書き足すかも知れませんし、消すかもしれませんし、

あるいは別の記事としてどこかで書き直すかもしれません。

早速書いてみます。

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【お金に執着する人ほどお金を失いやすいのではないかと感じる時がある】

 

一旦は細かい話を書く余裕がなかったので、省略しましたが、

(そういえばこういう時に割愛って言うのは誤用なんですね。

確かに自分で自分の言説、発言に割愛って愛つけちゃってたら変ですね。

時間の関係上割愛させていただきます的に他の方の発言などに触れることだそうです。

今まで何度も割愛って書いてましたが、今後は省略と書きましょう笑)

 

ってちらっと話が早速それましたが、

クラウドファンディング投資界隈でも思うんですが、

【別に損が出たって実際良くね?】って私は思うんですよね。

 

投資だから損が出たって別にそれはそれで良くないかなと。

ようは損が出ても得も出てトータルがプラスであればそれで良いじゃんと。

そしてそれが自分の思うプラスになっていればそれで良いじゃんと。

(何なら自分の気持ちが納得しているならば、プラスである必要すらないですが)

 

それが投資って言葉の本来のあるべき姿じゃないのかなと思うんですよね。

 

例えばですが、利回り10%を狙った結果1%の利回りしか得られなかった。

1%じゃ本当は不満だけど、本気で投資だけで食べているわけでもないし、ちゃんと仕事もあって収入は確保されているし、だから多少でも増えていればそれはそれで良いから、結果についてはしゃーないなと本人は感じている。

⇒これって投資成功者ですよね。

 

逆に利回り2%を狙ったのに結果1.5%の利回りになってしまった。

絶対デフォルトをしないつもりで投資したのに、1.5%に落ちてしまった。

これだとリタイヤしていて希望の収益に届いていない。

このままだと手持ちが減っていく。これだと困る。

本人は非常に失敗したと感じている。

(これくらいならば、本質的には短期的には困ってないかもしれませんけども)

⇒これはある意味失敗した人ですよね。

 

本人のメンタルの問題と言えばそれまでですし、

そしてどちらにしても客観的に見ればプラスだから成功しています。

まあ、これも本人の気持ち次第ではありますけど、

もっと言えばトントンでも損していないなら成功かもしれないですし、

多少のマイナスならば趣味的に考えればアリですし、

勉強になったという意味でプラスと考えられるかもしれません。

少なくとも私はそんな風に思える部分はありますね。

 

これは別に言葉遊びをしているわけでもなく、結局昨日も書いた通り、投資は個人的な事柄だから人と比べるものでもないし、自分の気持ち一つじゃんということです。

 

私は高い利回りとか大きめの結果をクラウドファンディング投資の投資家の中では求めている方ではありますが、

実はそこまで本気で絶対にそうでないとダメとも思っていない。

仮に利回りが0%という結果になったとしても(棄損があって)

しゃーないとは思えます。大損はさすがにどうかとは思いますが、

多少の損くらいならば勉強代と割り切れます。

1日に100万近く減らしたこともある人生、それよりマシですしね。

 

ある意味でお金に本当の意味で執着はしていないんでしょうね。

今はありがたいことに増えていますけど、

以前投資を始める前は増えても減ってもいなかったんだから、

それと同じと思えばプラマイゼロでもしゃーないでしょう。

 

上手く言えませんけど、あまり結果に強く執着しすぎてしまうと、

逆に短期的なタイミングで結果の出た一つの投資法、事業者などを盲目的に妄信しすぎてしまう結果もありえるので、

(例えば結果的に救われたとはいえSBISLに全振りした人なんかは危なかったですよね)

お金は大事ですし、損をしないことは大切ですけど、

あまりお金に強く執着して、絶対に増やさないと!絶対に減らしたくない!と考えてしまうと、目線の広がりがなくなってしまったり、冒険がなくなってしまったりして、

結果的に何か一つの失敗を大きな失敗としてしまって、結局はお金を失うってことになりかねないのかなと思うんですよね。

 

その点、私はいっちょかみ的に色々なところをつまみ食いしてるので、

多少結果が理想よりマイナスになることは織り込んでいますが、

それでも個人的な事柄としての投資においては、

たぶん割り切れるなという風に思います。

 

あ、ただ、だからと言って棄損する可能性が高いと思いつつ、それを表面的な高利回りで推奨しているということはないですから、そこは一応書いておきます。

 

無理矢理短時間で書いた内容を修正しながらまとめているので、いい加減な繫がりになっている文章かもしれませんが、

なるべく視野を広げて、目線を広げて生きていくというのが、何につけても大事なことってことなんじゃないかなーとはいつも思うんですよね。

今の業務だけ。今の職場だけ。今の業種だけ。仕事だけ。に集中だとそれが何か上手く行かなくなった時に大変。

だから投資その他のサブ的なことをしている。

だけど、それだけではなく投資とかサブ的な行為もなるべく視野を広く、目線を広げて、時には無理のない範囲で「儲かるかは分からないけど面白そう」くらいの気持ちでチャレンジする枠があっても、良いのかなーと個人的には思いますね。

 

損しないことは大切なこと。投資だから損したら無意味。

これは重要な部分ではありますけど、国の財政をどうするかということとも似ていて、

マイナスは良くないことだから緊縮財政で出ていくものを狭めようでは広がりがない。

会社の経営もそうですよね。自己資本比率が低い方が健全だというのは当たり前ですけど、じゃあ、全ての借金を否定して、負債が0ならば絶対に正しいのかと言えば、

負債0で経営出来るくらいの素晴らしい手腕、業績があるのであれば、場合によってはあえて負債を背負ってみて、その儲けられる力をより大きな規模で作ることを企図するというのもありかもしれません。

(このあたりは会社が永続することが正義と考えた場合であって、今の代でクローズするつもりだとか、そういう状況であればまた話は変わるでしょうけども。)

 

ということで、少しだけ追記、修正をしながら、もう一度1つの記事として再構築しましたが、ざっくり言いたいこととしては、

「投資は儲けるために行うもの」「損した投資は無意味」という大前提はあるものの

「だから損することを全否定しても良い結果が出るとは限らない」

「より広がりのある投資、視野、人生を送るにはリスクが低いものだけではなくリスクのあるものもチャレンジすることはありかもしれない」

「損を恐れすぎると特定の事柄、分野に固執しすぎて、致命的な結果が出た時にリカバリーの手段がなく苦しくなる可能性がある」

なので、「自分は投資は儲けたいという気持ちでやっているけれど、実は色々なものにチャレンジしているし、意外とお金に強く執着していないのかもしれないと自認した」

いずれにしても「投資は個人的な事柄であり人と比べる必要性は低い事柄と感じる。(種銭のスタートラインや人生のライフステージの違いで考え方も自ずと変わるため。)自分がこのスタイルで良いと思えるのなら、どんな投資であれ、成立する」

 

こんな感じでしょうか。何だか他のブロガーさんが以前に書かれていた内容と割と近いかもしれませんね。パクリみたいですね(笑)

 

以上、なんとなーく書いてみた話でした。

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