投資型クラウドファンディング愛好家の案件考察ブログ

不動産クラウドファンディングやソーシャルレンディング愛好家です。比較的高利回り案件を中心に考察をしています。※当ブログは広告紹介、リンクが一部記事に含まれております。

幸せを守る。

何だか保険なのか、それとも〇コムやら〇ルソックやらなのか。

というタイトルになりました(笑)

 

ふと、先日、帰宅して「風呂でも入ろうか」と思った時に、

この言葉が浮かんできましたので、

折角浮かんできたし・・・ということでタイトルに採用しました。

 

というわけで今回は「幸せを守る」について考えてみたいと思います。

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私には子どもがいます。今のところは1人です。

but…というあたりはとりあえず割愛しますが、ともかく子どもがいます。

もっと言えば毎度話題にしているのでお読みいただいている方はご存じの通りですが、

妻もいます。更に言えば母は健在です。ただし父は亡くなりました。

 

妻に関しては自分で収入を得てくれていますし、私の給料だけでは心もとない収入ですから、良くも悪くも「養っている」とか「幸せにしてあげている」的な気持ちはないというか、大切なパートナーと考えています。

それなりに長い年月を共にしていても、意外と掴みどころがないような気もする我が家の神様ですが、自分でお金を得る。ということを大切にしているところは偉いなと思いますし、しがない夫としては助かっています。本当にありがたい。

 

もっともこれからは女性こそ自分でお金を得るということを大切に生きていくことがより重要ですよね。男性の場合、それが否応なしに社会的に求められがちなので意識しないでもそういった視点が植えつけられるわけですが、

女性は良くも悪くもそこにエクスキューズが入っちゃいがち。(特に昭和の価値観等)

でも、専業主婦等の「自身の収入がないのに責任は伴う」とか「自身の生活を夫等の身内の人生に預ける」というのは、

かなり人生としてはリスキーだよなと思うんですよね。

こういうのは男性が言うと結構叩かれがちですが・・・

ですけども、逆に男性が専業主夫になるとしたら、すごく分かりますよね。

いつどうなるか分からない奥さんに自身の収入もなく人生を預けるって怖いよね。と。

 

我が家の神様は私より高学歴ですし、社会人としての略歴も悪くないですし、

何ならルックスも良いですし(とかって表現はたぶん怒られる!)、

なんかいざとなったら、私が家でダラダラしてても我が家は生きていけるのでは?

なんて妄想することもないこともないことはないですが、

それでも、まあ、やっぱり怖いですよね。

自分の人生を夫婦とはいえ他人に大部分委ねるというのは怖いなと。

人生というとちょっと言いすぎなのかもしれませんが、

極論は人生ってお金を稼いで使って衣食住をキープしていくことでしょうから、

その原資となるお金がパートナーとはいえ、自身でない人に依存する形になるというのは、一個人としてのリスクは大きいのかなと私は思います。

無論、何も職についていないことを否定的に見ているわけでもなく、

社会的な地位の高いパートナーのために、陰日向に補佐をして、

生活を支えて、それでも対価がないということはすごく難易度が高い割に、

報われない部分がある気がするなーって思うという話ですね。

大変だろうし、そこに敬意も持っているからこそ、だからこそ、対価が得られないのは割が悪いというか、リスクがあると感じている感じですね。

そこを楽観的に考える人は【専業主婦ってプレッシャーなくて楽で良いよね】

みたいに思うんでしょうけど、私は全くそうは思えないよなーと。

そうですね、、、仮にもしプレッシャーが少ないということをあえて言うのなら、

投資と貯蓄の関係のようなもので、【プレッシャーがないが潜在的なリスクがある】とは言えるでしょうか。逆に外で働く方は【プレッシャーを負ってリターンを取りにいっているので、逆説的にリスクが下がっている】的な感じとも言えそうです。

貯蓄しておけばお金を失うというプレッシャーは減りますが、諸々の将来的なリスクは増していきますし、投資を日々して、自己研鑽をしていけば直近のリスクは増すものの、リターンを享受出来たり、知識・見識等が上がって未来的にはリスクが下がるとでも言いますか。ちょっと似ている関係性かなーなんては思いました。

 

ま、話がかなりそれましたが、平たく言って、今のご時世は女性だから不安定、男性だから安定なんて必ずしも言えないわけで、

そのあたり、夫婦間の信頼がないというわけではないにせよ、まずは自分で稼ぐということを大事にしてくれている我が家の神様は改めて立派だと思います。

 

えー、というわけなので、話が長くなりましたが、

というわけで、「守らない」という意味ではないものの、

あまり私においては妻の幸せを守るという意識はないわけですが、

(どっちかというと、【手を取りあってこのまま行こう 愛するひとよ】みたいな感じでしょうか)

子どもに関してはかなり話が変わりますね。

子どもの幸せは守らないと。と、よく思います。

 

無論、ただただ私だけで守るということでもなく、「妻と一緒に」でもあるし、あるいは夫単独でも守る妻単独でも守る的な個別の部分もあるでしょうし、

あるいは逆に実母や義父母なんかも含めた大きな意味での身内で守るというのもあるかもしれませんが。

ともかく、屈託なく笑っている子どもを見ていて、

【あー、この子の幸せを守ってあげないといけないんだな】と、

重たい宿題を突き付けられたかのような気持ちになる時もあります。

すごく重たく鬱々してくるようで、どこか何というか幸せな気持ちもするというのが、

何ていうか月並みですけど、【親の気持ちは親にならないと分からない】

ということなのかなと勝手に個人的には思います。

 

とはいえ、難しいですよね。幸せを守る。と一口に言っても。

お金も得なければならない。それ相応に手間暇をかけて一緒にいないといけない。

(いけないというマインドで一緒にいるわけではないとはいえ)

教育、躾もしないといけない。でも心の傷になるような行動、言動もいけない。

純粋に天真爛漫に育ってほしいけれど、社会性に欠ける子になっても困る。

 

とにかく難しいなと思うことばかりです。

 

時たま妄想の世界に行きますね。

会社から駅まで帰る途中に、大昔、内覧したことのある物件の前を通るのですが、

住んでいる方の洗濯物なんかが見えた時に、

「今、独りであそこに住んでたら、今抱えている荷物ってほとんど何もないんだよな。

それは気楽だろうなー。なんか1日くらいそういう気持ちになってみたい」とか(笑)

でも、実際になると、たぶん1日以前に淋しくなってくると思いますが・・・

 

世の中を見渡せばロシアの軍事侵攻のことがあって、

日本において、「平和を守る」「幸せを守る」ってどうすれば良いんだろう?

ということが少し大きく考えられていくようになってきている感じですね。

私は必ずしも政治的に右ということではないですが、

憲法については議論する必要があるんだろうなとはこの10年ずっと思っています。

親がバリバリの左でしたから、昔は聖域のように感じていた部分ですけど、

一旦、そういった決め付けの「くびき」から自分を解き放つと、

やっぱり議論することすら拒否というのは違うのかなと。

 

「生まれ来る子どもたちのために 何を語ろう」

 

まあ、恐らく上で挙げた言葉を最初に紡いだ人の気持ちと、

私の今思っている気持ちというのはちょっと違うんでしょうけど、

ともかく、幸せを守る。

投資や仕事もそこに立脚している部分はかなりあるだろうなと思いました。

いわんや、あまり本気でそこにフォーカスしすぎると、へばってしまいそうなので、

たまに子どもの顔をマジマジ見て、意識するくらいで、

普段は【投資でプラス作ってニンマリしよう】くらいの気持ちでは生きていますが、

でもまあ、この子を不幸にしてはいけない。

そこだけはたまに強く思う私でした。

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ところで、愚痴もついでに。

 

えー、年度末ということで、そろそろ来期の会社の動きも見えてきて。

まあ、あれですね。人事的なやつです。

私はかつて過去最年少で今の役職の1つ下まで上がりました。

その時は、まあ、結構嬉しかったですね。

認めてもらえたっていうのもありますし、当然、お金的にも嬉しかった。

 

ただ、ここ数年は何度か言葉でも言われていますが、

【ウェイティング】という風に言われています。

さすがに悪いと思ったか、数年前に0.5段階くらい役職が上がりましたが、

対外的には公表されていないので、5年以上表面的には据え置きになっています。

 

どんな人にどんな意図があるかは正確には分からないですが、

ともかく年齢的に他の人より若いのに、これ以上、上に上げると不平等になるから、

仕事上、能力上は上げるのが妥当かもしれないけれど、

あなたに関しては今は上げないという風に言われています。

 

最初は結構ショックでした。

まあ、今も正確に言えば若干ショックはあります。

そして、内々の話として、今年も上げないとは聞きました。

(上がらなければ上がらなかったことは一目瞭然なので、

わざわざ上がりませんって言われる意味もあまりないわけですけども笑)

更に言うと、中途で入ってきた大先輩の部下(という付き合い方はしていませんが)

を、経営者側から私と同じ役職まで上げたいという話が出たらしい。

これはうちの上役が拒否したらしいですが、

ちょっとこれも微妙にテンションは下がりましたね。

 

私は若輩ながら役職以上の責任を負って長い時間会社に貢献している。

しかも社歴で言えば大卒プロパー並に長く貢献している。

お金のことや品質のことや、多くの人のマネジメントも事実上している。

それでも年齢的なものでウェイティングと言われている。

かたや、中途の先輩。非常に優秀で頼りになる。人としても信頼がおける。

とはいえ、私とは負っている責任が違いすぎる。

私はマネジメント的なことをしているけれど、彼は実務的なことしかしていない。

またお金勘定については現場の人員ということでタッチしていない。

 

それで同じ役職?それはさすがにおいおい・・・みたいな(笑)

というか、もっと言えば、同じ部署とはいえ行っている業務がまるで違うので、

役職の流れ自体が一緒にならないわけですよね。本質的には。

私がマネジメント的なことをしているので、

いわゆる会社らしい肩書がつくのだとすれば、

彼は実務のスペシャリストなので、OOマネージャーとか、OOエキスパートとか、

また序列とは違う部分の肩書として名誉を感じられるものが良いと思うんですよね。

変な話、私が何かのことで離脱した時に、私のすぐ下の肩書をその人が持っているなら、対外的には「NNSの代理ってこの人だよね。この人に色々聞くか」ってなるわけですが、「お金?俺分からんよ。PC?遊び程度しか使わないしやれないよ。」

って、それじゃー、どっちが優秀云々ではなく同じ肩書として相応しくないよなと。

 

逆に私は彼のような技能職、技術職を一切経験せずに、机の前でふんぞり返って偉そうな雰囲気を出してるだけで生きてきたような人間なので、

これはこれでその彼の行っている高度な技術職は一切出来ないわけで、

やっぱり「同じ役職って無理がある」みたいな。

とはいえ、客観的に見ても、私の方が責任を負っているのは、誰もが分かっていることで、それでも同じ役職にしようという役員の動き。ちょっと何だかなーと思いました。

 

逆に自分が技術職というか実務のみで管理的なポジションを一切していないのに、

課長とか次長とか部長って肩書きがついたら、怖いなって普通は思うと思うんですが、

能力とか行っている業務とはあまり関係なく、年功序列的に役職が与えられてきた昭和の会社なので、そこらへんが曖昧なんですよね。

そろそろ変えた方が良い気がしますが・・・

まあ、年功序列であること自体は良さもあるので、

私はそこまで否定的には見ていないのですが、

役職名に関しては、対外的に書かれる部分である以上、その肩書きだったら社会通念上、こういう仕事をしているはず。

と相手方が思うだろう仕事をさせていない人に、

そういった肩書を与えるのはおかしいよねと思いますね。

 

ま、書いていて、人間的なショックはやっぱりそれなりにはありました(笑)

これだけ責任を負わされても対外的にはほとんど平みたいな扱いなんだなと。

もっとも、偉いポジションになりたくて入社したわけでも、

あるいは日々、長時間仕事をしているわけでもないですし、

今の自分の優先順位は子どもの幸せを守るとか、自分の資産形成なので、

まー、偉くなっても大した金銭的なメリットがない以上、どうでも良いのですが、

そうは言っても長い年月働いている会社から、単に年齢のことであえて評価しないとされているというのはモチベーションが下がるなとは思います。

 

まー、メリットがないと上で書きましたが、変に役職的な責任まで負ってしまうと、

むしろ資産形成や、ライフワークバランスにおいてはマイナスかもしれないので、

2年前くらいからは結構割り切って、どうせ責任者の立場じゃないんだから、積極的に休ませてもらおうかなとか思ったりもして一部実践したりはしています。

会社が私を都合良く使う(責任は大きく負わせる、給与面では反映されているものの対外的には肩書きを低くして他の人の評価を間接的に下げないようにする。とか)のであれば、私もある程度、会社で都合良く働かせてもらうしかないのかなーと。

 

折角、大卒プロパーくらいの年齢から、人一倍責任を負ってきたのに、

悪平等な考え方で無理矢理押さえつけられるような説明をされると、

まあ、どうしても会社に対しては一線引いた気持ちにはなりますね。

そちら様がそういう風に考えるのなら、こちらもこういう風に考えますね。

みたいな。

 

ウェットな部分として、何となくそこに物悲しい気持ちもあると言えばあるわけですが、もっと狡猾に、自分のメリットを優先で最近は考えてしまいがちな私でした。

 

ま、でも、基本的にわざと会社にマイナスを生じさせたりという気持ちはないですし、

役に立てるのであれば、それに越したことはないので、

って考えると単純にちょっと淋しいなーと思ったという話でした。

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幸せを守る。

これが気づけば人生の一番手に来ていました。

親ですから当たり前と言えば当たり前なんでしょうけど、

その当たり前が全うされていない家庭も多いですし、

私自身も一番手には当然、置いていますが、

とはいえ、もっとそれを最優先の最優先にしている人から見れば足りていない。

 

改めてこう書いてみて、そこを今後も一番手にしないとなとは思いましたね。

 

まあ、それでも少し、【とはいえあまり子どものために自分が犠牲になるという精神もあまり健康な考え方ではないし、程々が良いのかも】とかも思いますが(笑)

私においては、程々にもうちょい到達出来ていない感じもありますので、

今年はもう1段階、家庭についても考えてみたいなと思うところです。

 

というわけで、以上、ちょっと愚痴交じりとなってしまい、

大変見苦しい部分もありましたが、幸せを守る。について考えてみた雑談でした。

 

ほとんど投資に関係のない記事にはなってしまいましたが、

預金と投資の関係性が、専業主婦(主夫)と兼業主婦(主夫)のような、潜在的リスクか顕在的リスクかというところに微妙に近い気がしたという部分は、

もう少し自分の中で掘って考えてみたいなーと思いました。

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