今回も雑記を書いてみます。「投資のススメ」という感じの文章です。
それほど大がかりな話ではないですが、【投資ってしといた方がいいよなー】って改めて思ったという話を今回は書いてみたいと思います。
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ところで、まず、投資とは何ぞや。というところから少し考えてみたいですが、
まー、投資とは平たく言えば「何かを投じて、何かを得ようとする」という行為なんだろうなと思います。「資本を投じる」ということが本来的なんでしょうけれど、場合によってはお金ではない自身の労働力や時間を捧げるとかも投資という言葉が使われるので、ざっくり言えば、何かを投じることによって、何かを得ようとする行為全般が投資と呼べるのかなとも思ったりします。
つまり、そういう視点で言えば、ほとんど全ての行為は投資という言葉に置き換えられるのかもしれないとも思うんですよね。
労働も、自身の時間とか労働力を投じて金銭を得るという、会社や事業に対する投資みたいなものですし、趣味であってもリターンの形が金銭ではないだけで(精神的な充足感であるとか)、ある種の投資的側面もあるんじゃないかなと思います。
そういった広義の「投資的」なものは何であれ、当然何かを投じる以上、投じた結果、リターンが充分なく投じた分が損になったりということがあるでしょうけど、(例えば贔屓のチームが応援したのに敗北したとか、練習したけど良い成績が挙げられなかったとか、それこそ握手券を大量に買って会いに行ったのに塩対応だったとか・・・)
もしかしたら・・・と最近思うのは、そうした【投じたにも関わらず満足なリターンが出なかった】ということを、
以前以上に嫌う風潮が世の中的に出てきているんじゃないかなーと。
例えば【コスパ】という言葉に集約されるように、投じた結果のリターンが高い or 高確率でリターンがあることが正しいとされる風潮とも言うでしょうか。
これはTVや映画、音楽などのエンタメ系においても顕著なようで、
あまり長い尺のものは好まれず、短い尺の方が好まれ、
尚且つ必ずしも苦痛があるようなストーリー立てた展開でなくとも、
まずハッピーな事柄がサクッとあるものの方がどちらかといえばトレンドのようです。
TiktokとかTwitterとか短い媒体が流行っているのも同じような事象かもしれませんね。
似たような話で思い出されるのは、うちの子どもはまだ2歳ながら、最近のダンスミュージックは楽しく聴いている。けれど、90年代のJ-POPのような王道J‐POPは途中で飽きてしまう感じがある。これも似たようなことで、ダンスミュージックは同じリズムやコード(和音)が反復する展開が多く直感的なのに対して、王道のJ-POPはAメロがあってBメロがあってサビがあって2番があって、大サビがあって・・・と段階を踏んで楽しむ音楽なので、まだ子どもの感覚からすると「違うな」って感じなんでしょうね。
(ダンスミュージックに関してはリズムやコードは反復性が強いものの、
サウンドメイキングにおいては従来の音楽より複雑な部分も多々あるので、決して「雑な音楽」ということではないということを念のため補足します。)
こうした風潮についての良し悪しは何とも言えませんし、【世の中の流れ】という言葉でしか言いようのないところでもあります。
【コスパ】を大事にするということは、自分が投じたことに対してのリターンに敏くなる、機敏になるということですから、良い部分もあるだろうとも思いますしね。
それこそ狭義のいわゆる投資を行うのであれば、そこに敏くなることは必要なことでしょうから、今の人たちの方が昔の世代より投資を上手に出来るのかもとも思います。
ただ、そんな風潮において気にかかるところがあるとすれば、自分自身も含めての話にはなるものの【コスパを大事にするあまり、無駄を省こうとして、身の回りの世界が狭くなっていないだろうか】というところです。
つまり、昔であれば有無を言わさず新聞が届く、TVをつけるという中で、必ずしも自分に興味のない事柄も耳に入ってくる、目に入ってくる機会があった。
でも、今は生活様式が多様化しており、昔のような有無を言わさず的なものが減っている上、上記のような投じた結果を重視するあまり、そういった自分にとって興味のない事柄は容赦なく捨て去りすぎているのではないかということです。
それにプラスしてアド広告のような興味のある事柄を殊更強調するようなテクノロジーもいくらでもありますからね。
そうすると、まあ、一言で言うと「世界が狭くなる」「世間が狭くなる」
ということはあるでしょう。
こんなにテクノロジーが進化して、世界中の様々な事柄に一瞬でアクセスできるようになったのにも関わらず、むしろ1人の人間にとっての興味ある事柄、「自分事」と考えられる範囲が昔の人よりもたぶん狭まっているだろうということは自分自身や自分の身の回りにおいても感じます。
世界的に利己主義、自国至上主義的な考えが以前より増えているのも、
もしかしたら似たような風潮かもしれません。
それそのものが絶対的に悪いということではないでしょうが、【合成の誤謬】という言葉がこういう事柄において当てはまるかは難しいものの、
突き詰めて考えてみると、「リターンを追い求めて無駄を省くあまり、世界が広がらず、更なるリターンを得る機会を喪失する」
ということがきっとあるんだろうなと思います。
例えるならば、直感的な美味しいと思える味しか追い求めなければ、大人になってからも複雑な味の美味しさは分からない。みたいなことというか。
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で、まあ、やっと本題に入るわけですが、それを防ぐ方法の一つが(狭義の)いわゆる「投資」ではないかなって最近思ったりするんですよね。
自身の資金や労力を投じて、投資を行う。
それが株式などの値動きのあるものであれば値動きを気にする中で、世の中のトレンドが気になっていく。
クラウドファンディング投資のようなものであれば値動きはないけれど事業者の状況に興味を持ったり、物件、案件を通じて縁のない立地、事業について興味を持てる。
あるいは財務の読み方について興味を持つなんてのも株式にせよ、クラウドファンディング投資にせよ大事な部分なのであるでしょうし、
暗号資産であったり、株式投資型クラウドファンディングであれば、身の回りの事柄よりより未来的な発想の事柄について触れる機会が増え、自分の世界が広がる。「自分事」と感じられる領域が増える。
こんな感じでしょうか。
私自身、こうして投資という行為をし始めたことで、今まで全く興味のなかった事柄、業界、業種に対して【儲かるか!?】【損しないか!?】という部分がメインなのはちょっとした恥ずかしさもあるものの、
色々なことに興味を抱いて注目するようになったという自覚があります。
そして興味を抱いたことで、更に興味の対象、得た知識が広がっていき、あるいは人との交流も増えていき、今ではこうしてブログまで書いて、広告まで載せさせていただいているという形ですから自分の中身も随分様変わりしたなと。
【投資してみっか】という小石を投げた波紋が、こうやって色々なところに広がっていったということの面白みみたいなのは自分に対しても少し感じていたりします。
また、あるいはそうやって色々な方面にアンテナを張ることが、メインのインカムである給与の部分に万が一危うさが出た時のリスクヘッジにもなる可能性もあるわけですから、(何であれ身の回りの世界を広げておくことは今の業種以外への転身の可能性にも繋がることであり、損はないのかなというところです)
そういう意味でも、投資という行為で儲かる儲からないは絶対的な重点ではあるものの、副次的な成果物もそれ相応にあるとも考えられるかなと個人的には思います。
というわけで、まあ、最後は尻すぼみでサクッとまとめますが、
【投資をすることで、身の回りと感じられる領域が広がる】ことで、【更に興味の対象が広がっていき、更なる別の投資に向かいやすくなる】ということと、
【身の回りと感じられる領域が広がると、生きている中で多面的な物事の見方がしやすくなり、1つの世界、業界に囚われる気持ちが減って、
今の人生に対するリスクヘッジにも繋がる】
そんなことを思ったのでした。
投資をすることはリターン(金銭)を得ることが主目的ではありますが、主目的以外の副次的なメリットもあるなーと、自分自身については強く思うので、
いわゆる狭義の投資を行うことに恐れ、躊躇いがある方も、自分の世界を広げる的な目的も含めて投資にチャレンジされたらいいんじゃないかなーと個人的には思いますし、
既に投資を楽しまれている方も、1つの投資法に固執するのではなく、
様々な投資に参加することで、見識を広めるのもアリじゃないかなと思いました。
というあたりで、今回の記事を終わってみます。
結局、上手くまとめられずにダラダラしてしまいました。
まー、でも自分の脳内整理としては割かし上手く行ったかなという感じで、
記事自体は、まあまあ、「アリ」かなという記事になった・・・でしょうか。
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