今回はちょっと雑談、雑記的な記事を書いてみようと思います。
書いてみようかなと思った直接的な理由は特にないのですが、
(前々からまとめてみたいとは思っていましたので)
強いて言えば、書き始めた時は、とあるクラウドファンディング事業者の過去の案件のデフォルトが確定したようだ。
という件が最近ちょっと騒がしいなーというところから着想しました。
が、気が付いたら、その件についてはほとんど関係ない感じの文章になっていました。
で、まあ、とはいえ、その件も一言くらいは書いておこうかなと思い、
最初に書いてみます。
この件については自身がその事業者のサービスに参加するより前の案件であり、
特に上手く言及できないので、私のブログでは基本的にする予定はありません。
(詳しく知らない上に、それを調べるまでの時間が取れないので、単に「出来ません」とも言えますが)
基本的には当事業者については、私は応援しているスタンスではありますけども、
とはいえ、当然ながら、その事業者の活動のすべてに納得しているわけでもないとは一応書いておきます。
(もっとも、すべてに納得しているサービスや事業者なんて1つもありませんが。)
まあ、ただ、私に関しては今のところ何一つ悪い思いもしていないし、結構プラスが出ているので現状は頑張って欲しいという言葉だけかな。注視したいとは思っています。
って、なんかこれだといかにも名前を出したくない的な雰囲気になりますね(笑)
クラウドクレジットの件です。名前も一応出しておきます。
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さて、というわけで、今回のネタ、【ネット上って公の場だよなー】と思った。
ということについて自分なりに書いてみたいと思います。
(念のため補足しますが、下記の文章はクラウドクレジットさんのサービスのこととは何ら無関係に書いております。そこの混同をなされないようにご理解ください。)
まず、人によってですが、何らかのサービス、事業者を良く言うよりも悪く言った方がフェアじゃないかという考え方、言い方をされることってありますよね。
それはある意味正しいとは私も思っています。
本人に豊富な知識があれば、【あるべき姿】かなとも思います。
でも、悪く言うというのは良く言うよりも、実はブロガー、インターネットへ投稿するものとしては責任の重く、書き手にとってリスクの大きな行為なんですよね。
そこは気にしないといけないところでは。と。
例えば良い口コミをするのは、明らかな【優良誤認】を招くようなことかつ、広告を置いていた場合、問題がある程度あるかもしれませんが、
基本的に本人の誤認などで多少良いことが書いているという程度である場合、
内容に多少の誤りがあっても、あくまで一素人の感想の範囲であるならば、
それが咎められるということはないですよね。
また、仮に広告を載せている人間であったとしても、
【記事を書くことで報酬をもらっているライター】でなければ、
主観での発言による口コミレベルの発言内容は、基本的には同様だと思います。
その感想、口コミを見て、投資についてであれば、それを実行をするのかしないのか、
その意見に賛同するのか、否定的な感想を持つのかは、
各々の読み手の方の判断次第になりますからね。
それはまあ、投資は自己責任という言葉ともちょっと近いでしょうか。
つまり、投資でなくとも何であれ、
インターネットに書いてある一個人の感想レベルのことを信じるも信じないも、
肯定的に感じるのも否定的に感じるのも、読み手の自由ということですね。
ただ、無論、広告を載せるからには、現時点で報酬が生じている、いないは別にして、
【出来れば正しい理解に基づいて、正しく商品の紹介をすべき】
というのはあるので、これは、自分も今後更にそうありたいですし、
他の方にもそうでいていただけたらいいなーとは思います。
が、まあ、ブログ村界隈の広告掲載者に関しては、
明らかな誤認に基づく過剰な投資の推奨は今はないかなと思います。
派手に宣伝している方はいますけど、
(私も比較的派手に宣伝している方の一人だとは自認しています。)
それはスタンスの話であって、強引に嘘を書いて客を呼び込んだりはないですからね。
逆に、必ずしも正しくない知識、前提条件で事業者、他の方を悪く言うというのはブロガー、投稿者(匿名掲示板等も含む)としてはリスクの大きい行為だと私は思うのですが、意外と無頓着にそういったことをしている方。
個人的な意見ではありますけど、【大丈夫かな・・・】なんて心配に思ったりします。
それは広告提携や会員登録の有無とかの問題ではなく、どの事業者であっても。
あるいは交流のあるブロガーさんだけでなく全てのブロガーさんや他者の方に対して。
極論を言えば、正しくもない内容を記載し、かつ、更に、何らかどなたかのことを悪く言うということは、下手をすれば訴えられるリスクもありますからね。
また、マイナスなフレーズは更なるマイナスを生み出すとも言えますし、
本来はマイナスの発言って慎重であるべき事柄だと私は思うんですよね。
私自身は広告云々のこともそうですが、知識も中途半端なので基本的に悪く書くのは余程これは…という思いがあった時に婉曲的という程度です。
ただ、まあ、本音は「案件考察」を謳っているわけで、プラスについて大きく書いたら、その分、その半分くらいはマイナスも紹介したいとは気持ちの上では思っています。それは文章としての公平な視点を大事にしたいという意味ですね。
でも、だからといって、積極的にマイナスについて紹介したいとも思わないし、
仮にマイナスを過剰に表現する時があるとすれば、種明かしをしてしまえば、
それは単に自分がフェアな人間だというパフォーマンスをしたい時や、
そういった気持ちの発露として上辺を綺麗に見せたいと思った時かなと。
何というか、真にフェアなのは、正しい知識、理解を持って、商品やサービスの良い部分と悪い部分を完璧に50%ずつ紹介することでしょう。
でも実際は商品やサービスのすべてを完璧に理解している人は素人レベルではいない。
もしかしたら【中の人】ですら完璧に理解していない可能性すらありますよね。
であれば、基本的には良い部分に触れることで、無用なリスクを避け、
ただし、気にかかる部分は念のため、言及する。というのが普遍的なバランスかなと。
私はそんな風に思いますし、他の方も深く考えているかは別にして、
大体そういう感じで文章を綴っているのかなーって気はします。
少しだけ大げさな言い方をすれば、
【マイナスなことに過剰に触れ、それが大きなマイナスかのように言及する】
というのは、良いと思えたはずの人に対してマイナスの影響を及ぼすという非発展的な行為である部分があるにも関わらず、書いた本人は他人のためになっているという気持ちでいやすいという点で、実はアンフェアだということもあるんですよね。
すごく極端なことを言えば、本来投資する予定だった人が、そういった言葉を見て、投資を躊躇って、儲かるはずだったものを逃してしまった。
この機会損失はどうなるんだということですね。責任を負えるのかということです。
そんなものの責任を負える人なんているわけがないですよね。
当然、【機会損失?知らねーよ】って話だと思います(笑)
まあ、というように誰かが何かをマイナスに言って、それで信じて機会損失が出ても、それについての責任なんて普通、誰にもないわけで、
逆に言えば、誰かが何かを推奨して、それで損しても投資は自己責任、人生は自己責任ということは言えますね。
詐欺を詐欺と知りながら推奨する共犯レベルであれば、
まあ、さすがに責任はあるでしょうけどね。
ま、私は他人や他人の文章に責任があるとかないとか、全く自分の投資においてはハナから考えることもないので、何らそこを深堀りする気もなく、どうでも良い気持ちになっていることですけど、
ただ、強いてそんな自分でも気になることとしては、
他人にそういった機会損失を与えている可能性があるにも関わらず、
マイナスな発言って、本人が【他人のためにやっている】という気持ちを持ちやすいので、これってメンタリティ的な部分で、アンフェアだとは私は思うんですよね。
そういうのは何か実はズルいなって思ったりします。
特にそういうことをする人が素人、一個人であるならば、
企業や大きな影響を及ぼす側は、そう無闇に反論、批判しづらいですからね。
つまり、これって弱者であることの強さを結果的に生かす形になってしまっているので、この視点で見てもやっぱりアンフェア。私はそういう風に思うんですよね。
あくまで、これは理詰めで考えた時の話であって、
自分が目にしている中でそこまで極端な方がいるとは思っていないですけど、
でも、そういう風な方向に転ぶ可能性はあるし、これってどうかな。
とかを思う時は、たまにあったりはするかなと。
今はブロガーとして、この記事を書いているので、発信者としてのスタンスはどうあった方が安心か。という話を基準に書いている関係で、「悪く書くより良く書こう」的な、まあ、ある種の欺瞞に繋がりそうな言葉をメインに書いてしまっていますが、
言うまでもなく、そこが話のキモってわけではなく、言いたいのは逆に、
「だから読み手の方が気を付けないといけない」というところが言いたいんですよね。
公の場に言葉を発する人は、(普通の感覚であれば)広告の有無、知名度の有無等をすべて置いておいたとしても、
基本的に中庸~賛同の方向性で言葉を発することが基本路線です。
好き嫌いがあったとしても、嫌いな上役、同僚とか先生や同級生の悪口を目の前でずっと言ってる人はいないのと同じですね。
思うところはあっても、公の場だったら当たり障りなく言うのが普通です。
私なんかそこらへんが全く昔分かっていなくて、
高1くらいの時に応援しているアーティストの曲で、あまり出来が良くない、音楽理論的におかしい和音になっている部分とかを、この曲はあんまりだみたいなことを明け透けに書きすぎて、1回りも2回りも年上の方にボロクソに叩かれて、
今で言う炎上みたいなのに何度もなって。
あの時は、何で?と思っていましたけど、今なら分かりますね。
「だって、ネットって公の場だもんな」と。
その意見自体は否定とか批判じゃなく、批評なんですけど、言い方ってものがあるし、
公の場で発言しているという意識があれば、クッションとなる言葉を用いたり、場を選んだりして調整出来ただろうに、それが当時の自分には分からなかった。
濃ゆいファンが集っていて、それこそその曲で人生が変わったくらい、その曲を愛しているような人がたくさんいる場で、そういうセリフを吐いちゃってた。
あれは痛かったなと思います。
ま、そういう当時の私みたいなオ〇カさんは今のご時世、基本的に少数派でしょう。
特に今は炎上リスクが高いですから、誰しもネット上では注意を払って文章を書く傾向が昔よりあると思いますし。
だから、読み手の方は逆に裏側を大きめに意識しておくのは必要と言えば必要なんですよね。書き手が100%の本音で書いているわけではないわけですから。
特に投資とかセンシティブな領域についての言葉であればなおさらのこと。
つまりそういう読み手の慎重な姿勢が、「リテラシー」という言葉に繋がるのかなと。
例えばネット上のニュースサイト、ポータルサイト的なところは、
お金をもらって事業者を紹介していますから、悪いことはほとんど書きません。
これは当たり前です。PRサイトですからね。
アフィリエイトをするブロガーは直接のお金は基本的にもらっていませんし、
あくまで(少なくとも私に関しては)まず第一にはブロガーですから、
事業者の発信とイコールではなく時折マイナスなことも言及しますが、
とはいえ、こちらも、自身の評判、読み手や事業者との距離感の部分もあって、
マイナスな言葉は強くは吐きません。
それはぶっちゃけ「公」の場ですから、当たり前ですよね。
ネット上は「私」の場ではなく、「公」の場ですから。
まあ、「私」の部分・・・というか雰囲気を多少持たせている、「公」の場というのが分かりやすいかなと。
だから、ブログとかネット上に出ている発言を完全な「私」の発言と読み取ってしまうと、間違いが生まれる。
あくまで、ある一定以上のアクセスのあるネット上の媒体は、
すべて「公」「建前のある文章」と思って、読み手が接しないといけないだろうなと。
芸能人のブログとかインスタがステマなんかが全くなかったとしても、
「私」の体裁を採った「お仕事」であることが多いのを見れば分かりますよね。
その程よい作られた「私」の雰囲気を楽しみつつ、
あくまでこれは「お仕事」だよねって読み手が踏まえないと大変。
過度に「私」を意識しすぎて勘違いしてしまうと、勝手に幻滅してしまうでしょうから、最初からこれは「公」だと認識しておいた方がいいというか。
(これはもうそれこそキャバクラとかホストとか、
そういう夜の街路線を考える時とちょっと繋がることかもしれませんが)
ま、なので良いことを書いている人を信じすぎないというのは当然のことですが、
逆も実はまたあって、悪いことを書いている人もまた信じすぎない方が良い。
マイナスなことに言及するインセンティブは(アクセス数、自身の存在感の確立など)結構ブロガーにおいてはありますからね。
ブロガーなら可愛いもんですけど、YOUTUBERとか、
それこそ古くは【反体制的な媒体】なんかもそうでしょうか。
マイナスを常に口にすることでのインセンティブで、
【金銭的な経営】すら成り立ってしまう場合がありますからね。
真っ当な批判で、媒体を経営してそれが成り立つなら、
それはもちろん社会的に意義が大きい事業なんですけど、
手当たり次第、何でもかんでもマイナスに表現して金銭を得るというのは、
それはそれでどうなんだ?というところはありますよね。
それならプラスの部分を紹介して金銭を得た方が世の中的にやや真っ当かなとか(笑)
まあ、あまり政治的なことはここに書いても仕方がないですが、
(私なんかは左翼的な思想で育ったのでより思うのですが)
野党は野党であり続けることのインセンティブがあるのが、
明らかに見え透いているみたいなこととも似ているかもしれませんね。
なので、投資は自己責任という言葉はその言葉だけ聞くと、
何だかすごくアクセントの強い言葉でもありますが、
というより、すべての「公」に出ている文章、意見は建前がある言葉であり、
それについて書き手、発信者を責めたって仕方がないので、
そこは読み手の責任で良し悪し、真偽について考えた方が良い。
どこかの誰かが言ったことをある程度信じるのは良いけれど、
妄信まではしない方が良い。そんな感じに思う方が建設的かもしれませんね。
(新聞、テレビなどの既存のマスコミに対しても同様でしょう)
私自身、例えば案件の考察は自分なりにちゃんとやっているつもりだし、
正確さを欠いてはいけないところは気を配っているつもりです。
それでも、あくまで口コミ的な文章を綴っているブロガーであり、
主観で発言している部分は多いし、(だからこそ、そこに固有のフレーズが生まれるわけで、ここを捨てたらブロガーでもなんでもなくなってしまうので、バランスは見ながら今後も主観での発言はある種大事にしたいとは思っています)
その全てを、「公」とも「私」とも「正」とも「否」とも決めつけられたくない・・・
というか、決めつけないで読んでもらった方がいいかなと思います。
事業者さんに対しても、私は「公」の視点と「私」の視点を織り交ぜて文章を書きたいので、事業者さんから出てきた情報とイコールでは書かないですし、
ある程度は主観の発言もあえて入れて書くことが、口コミブログ、愛好家ブログとしての立ち位置を守ることにもなるので、そうしたいとは、たまに言ったりします。
(これって結構生意気ですよね。でもその視点がなかったら事業者さん自身のPRと同じになってしまいますし…バランスは悩むところです。)
結局、自分なりに長々と、ネット上の普遍的な考え方を書いてはみたところで、
「お前は広告載せてるからそういう逃げた言い方をするんだろ」
と、思われる方も一定数いそうではありますが、
何となく一度はこういうことについて、
自分の思うところを書いてみたかったので書いてみました。
私は文章がグダグダですし、主観の発言も結構している、愛好家ブロガーではありますが、ブログは長年趣味的にやっているので、その中で経験した色々もあって、
「公」に発言しているという意識は自分なりにそれなりに持っているつもりです。
なので、私の文章がどんなにグダグダでダラダラしていても、良いことも悪いことも、
多少なりとも「公」の意識で、「建前」のある発言でもあるとは思っていただければと思います。当然、キャラクターも多少は設定しているつもりでもあります!
(・・・というのは、ちょっと盛りましたw)
まー、でも、ほんと「私」ってのはほんと難しいですよね。
では、電子メールやDM、チャットとかなら完全に「私的」なのかと言われれば、
そんなこともないでしょうし、
それこそ親であるとか妻子相手だって、100%「私」の発言をするとは限らないですよね。そういった身内であっても、場合によっては「建前」のある発言をするでしょうし、100%の「私」ってのは自分の心の中にしかない。
そういう風に思って、他人の言葉、発言、発信している内容は読んでおくのが、
実は無難なのかなーと、今回書いてみて思ったのでした。
上手くまとめられませんでしたが、平たく言えば、
【良いことも悪いことも、どんな事柄も書き手が100%私的な気持ちで綴っていることは基本的に少ないし、その方がむしろ発信者としては安全だと思う。
なので、そこは読み手が自身で裏側を補って読んだ方が良い。最終的には書き手を責めても無為なことが多く、読み手が気を付けるしかない。】
こんな感じでしょうか。
自分自身はなるべく公の場として相応しい中立な内容と、私的な発言(というか独自の視点による発言)という2つをバランス良く入れて書いていきたいと思いますが、
それでも、世の中全般に公開している文章を書く以上、100%が本音というのは難しいですので、そのあたりは読み手の方にご想像いただいて読んでいただければ、ブロガーとしては非常に助かります。
あるいは、もうちょっと「私」の部分が知りたいと思われた場合は、
コメントや問い合わせで連絡をいただければ、
個人的に連絡出来る内容もあるかもしれません。
そのあたりはご考慮いただければと思います。
以上、思うところを書いてみた記事でした。