年末のご挨拶をしたはずなのに、毎日更新出来ている私、NNSです(笑)
えー、何故更新が出来ているか。
というと【寝不足が多少解消されたら小ネタが脳内に複数思い浮かんだから】
という感じです。
そして書くための時間も多少なりとも取れたということもありますね。
なので、ストックが出来てしまって更新が続いているという有様です。
早い段階で良いお年を~と書いておきつつ、毎日更新。
というのも、本当に不細工な話ですが、
まあ、暇つぶしで読んでいただける方も意外と多いので、
調子に乗って更に記事を増やしてみました。
さて、今回のネタですが、【来年の目標】ですね。
というか、否、【来年も目標】かもしれません。
個人的な目標はいちいちここには書きませんが(というか特にないですが笑)、
ブログとしての目標を書いてみたいと思います。
目標:人の不幸を願わない。願うような言葉を掲載しない。
以上です。
私は結構、嫉妬心が強い方の人間かなと思います。
(投資額とかについては嫉妬心が強いはずの自分にしては、意外と他の方への嫉妬心は薄く、敬意の方が強かったりします。それは人生のステージやスタイルが各々違うからかもしれませんね。)
それと「恨み」的な気持ちもそれなりに強く持っている方の人間かもしれません。
よく韓国の方とかの原動力に「恨」というのがあるなんてのを耳にしたことがありますが、理解出来ないようで、理解出来る部分もあります。
(韓国籍や朝鮮籍の方について詳しいわけではないので、そういった心情が本当に文化的にあるのかないのかという詳細は分かりかねます。あくまで例えとしてお読みください。)
私自身も何というか、この「はん」っていう気持ちに近いものが心の中にあるような気もするんですよね。
何かこう、虐げられたとか、辛い気持ちを持ったということをストレートに出すとか、
あるいはストレートに反発心、反抗心を出すというか、そういうのとは違って、
その恨めしい気持ちのマグマを蓄えている感じはあると言いますか。
まあ、これって「ナニクソ根性」的なのとも近いようにも感じますが、
何となくそれとはちょっと違う気もするんですよね。
何だろう、、、ナニクソ根性的なのって、何か高圧的に指導されたとか、否定されたとかそういう事があった時に、その人に対して反発、反抗をして、その人の評価を変えてやりたい的な意味合いがあるように思うんですよね。
私に関してはそういうのは年々希薄になっている気がします。
必ずしもその人の評価を変えることが正解じゃないというか、
それだけが進むべき道というわけではないし、交わらないモノは結局交わらないよな。
っていう感覚もあります。
これはもう、毎度例に挙げていて、本当にご本人様には申し訳ないわけですが、
父との関係が良い勉強になったというか。
昨年亡くなった我が父ですが、結局30年以上とうとう交わらないままジエンドでした。
交わろうと私は頑張ったつもりです。父だってそうだったかもしれません。
でも、交わらなかった。
結局、私の人生は交わらないかもなと諦めて実家を出たところから上り調子になった。
そういうことから考えると、必ずしもその人に対してナニクソ根性的にしがみつく必要はないのかなーとも思ったりするんですよね。
なので、やっぱりナニクソ的なことと、
「恨」的な感情は違うのかなと思うのが自分の感覚です。
で、では、その「恨」的な感覚って何かって言えば、
そういった辛い気持ち、恨めしい気持ち、鬱屈した気持ちを抱えて、違う形で頑張り、
何かを為せた時には、ある種、その元々の恨みの対象に「あっかんべー」でもしてやろう的な気持ちでしょうか。
まあ、あまりその気持ちが強すぎても、人より上に行くための人生とか、
人を不幸に呪うための人生になってしまって、良くはないのですが、
今、盛んに言われているFIRE正義論も、どこか、こういう「恨」的な感情をベースにして目指している方もいるような気はするんですよね。
ごく純粋に「ゆとりが欲しい」「仕事に疲れた」というだけではなく、仕事の歯車として酷使された、されていることの恨みつらみ的な感情も散見される気がします。
負の感情がある種のパワーになることは色々な局面で確かにあることであって、使い方の問題なので、私自身はそういった人にあまり見せたくない負の感情を強く持っていますが、自分を正の方向に向けるべく今はある程度使えているので、
これはこれで良いのかな?とも思ってはいます。
がしかし、一歩間違うと危ういのがこういう感情でもありますよね。
特に人様に向けて言葉を発する、記事を書くという立場だと本当に危うい。
いつもなるべく気を付けていることですが、
【人の不幸を願わない】
【脳内で仮に願ってしまったとしても口にしない。絶対に記事にはしない】
これは気を付けないとなと。
ごく親しい間柄でちらっと人をマイナスに言うくらいであればともかく、
ブログなど不特定多数が読むところで人の不幸を願ったり、そういった意味合いの言葉を書くというのは、ある種のセンセーショナルさでアクセスはあるのかもしれませんが、長い目で見て、自分の価値を毀損させる行為かなとは思うんですよね。
ですから、私は苦戦している事業者の批評とか時に批判とかはするかもしれませんが、
その事業者の悪口であるとか、その事業者の未来をマイナスに向ける言葉は書きたくないですし、それこそそこに投資している人をマイナスに表現したり、マイナスになることをある意味楽しみにしているかのような表現はしたくないなと思います。
綺麗事と言われるかもしれませんが、
「ちょっと危なっかしい事業者さんなども含めてすべての事業者が致命的なマイナスを発生させることなく、事業を発展させていくことで、クラファン投資や、あるいは投資という活動全般の裾野、信頼感が広がっていき、これまで以上に魅力的な商品が多くの事業者から組成される」
と私は考えているんですよね。
(リスクのある投資である以上、適切な範囲でのマイナスは本来起こった方が自然とも言えますが)
また当たり前ですが、単純に言って多くの事業者が順調に案件を消化していくことは、
確率論から言っても自分の投資結果へもプラスのベクトルが働くわけですからね。
【人を呪わば穴二つ】なんて言葉も昔からあります。
(余談。この言葉は地獄少女というアニメでよく一時耳にしていました。主役の閻魔あい役の声優である能登麻美子さんのファンでもあった自分は特によく意識していた言葉でした。)
この言葉の正確なところは分かっていませんが、
実際、そういうことってあるかなとは思ったりもするところではあります。
なかなか達観出来ないまま人生を送っている自分ではありますが、
せめてブログくらいは人の不幸を願わず、前向きな記事を中心とした更新をしたい。
これは来年の目標。来年も目標。という感じだなーと改めて思ったので、
今回、改めて気を付けたいという気持ちの下、記事として宣言してみた自分でした。
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