今日も雑談記事で失礼します。
時間があまり取れていないこと、ここ最近、一時のような物凄く面白い案件が少し減っていることなどもあり、元の雑談ブログ的なテイストに戻りつつあります。
それが良いのか悪いのか・・・何とも言い難いですね。
当たり前ですが収〇的なあれとしては、
考察記事を書いた方が多少なりともあれがあれするわけで、あれなんですが、
やはり当たり前ですけど真面目に考察しているとはいえ、
訴求がある程度前面に出る記事が続けば、読み手の方としては飽きますよね。
「で、お前が最もおススメの案件はどれだよ」みたいな。
とはいえ、それの答えは非常に難しいわけで、極論を言えば、ある程度の額をAGクラウドファンディングに固め打ちじゃない?という結論になってしまうかも。
いや、AGクラウドファンディングという結論じゃダメというわけでもないです。
大手企業の子会社でありながら、意欲的に案件を出されていて、個人的には敬意を持ちますし、自分に山っ気が割とあるせいでまだ投資参加出来てはいないですが、
商品のリスクとか事業者さんとしてのバックボーンの厚みなんかを考えれば、安心感は高いですよね。でも、それは誰でも考察するまでもなく見れば分かる話で、
その先、リスクを多少取りながらも、リスクと利回りのバランスでおススメは・・・
となった時には、また答えは別の候補が挙げられうる。
そしてその答えをほんの少しでも他人より細かい視点で出せる。
(出した気になってそれっぽい文章が書けるの方が正確ですが笑)
というところがブロガーとしての立ち位置ですから、
毎日毎日考察記事ばかりだと、全ての記事が薄まる感じはあるかもしれません。
とはいえ、日々記事を書いていることで、日々遊びに来ていただける方もいるわけで、薄まってる感じはありつつ、それはそれで書く人も日常、読む人も日常って感じで、その日々である価値もありそうですが。
というわけで、雑談が続くこともまた、「薄まる」ということにはなるんですが、
もうちょっと雑談で考察ブログを薄めてみたいと、今日のところは書いてみます。
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今日は、タイトルの通り「子どもがいて良かったなー」っていう記事です。
ぶっちゃけ、【私は子どもがいて幸せだなとこの間思いました。】
以上で、記事終了ってくらいの内容です。言いたいことはそれだけです。
まあ、でも、もうちょっとだけ色々書いてみます。
お子さんのいる方もいない方も、伴侶のいらっしゃる方もそうでない方も、
暇つぶし的に読んでいただければと思います。
まあ、こうして投資について書くブログを始めて早1年?くらい?
最初は以前の別のブログはまさしく独りでただつぶやくだけのブログでした。
記事を書いた日に10人とか来てくれた程度でした。
今は下手したら20倍くらいです。ありがとうございます。
まー、で、元々ブログを書くのも読むのも好きな人生を長らく送ってきましたので、
結構色々な方のブログを拝見します。ブログ村が中心ですが、クラウドファンディング投資のブログはそうでなくとも結構読んでいます。
逆にクラファン投資でない株、ETF的なブログも、
ブログ村の中であれば割と読んだりします。
で、思うんですよね。【やっぱ、子どもがいると投資ってむずいよな】って。
これはもう、どうしても事実としてあるなと思います。
単純に「お金がかかる」ということもありますし、
どっこいどっこいで「時間が食われる」ということもあります。
そしてもっと言えば「ブログも時間が食われる」ってのもありますね。
投資とブログっていずれも時間が食われる事柄ですから、
子育てっていう時間が食われる事との両立は難しいです。お金は言わずもがな。
私は毎度書いていますが、投資というのはごく個人的な事柄なので、人と比べなくとも良いとは思っています。仕事であれば自分の限られたリソースを使って何かを為すので、ある種給料の大小は自分への評価、自分の為した事柄とイコール的ですが、
投資は自分のリソースではなく種銭を使ってお金を増やすことなので、
その種銭の最初の段階での大小によっても結果は変わりますから、生まれた時から今に至るまでの環境の違い、年齢等のライフステージの違い、その人にとって必要なお金、目標の違いでスタンスも変わる以上、大きく結果を残した人への尊敬心は当然同じ投資仲間としてはありますが、自分のペース、自分の今の種銭とライフステージなりに行えばそれで良いのかなと思います。
私は仕事とか単なる人生として、非常に優秀な方が多くお金を稼いでいるとたまに嫉妬心が出ますが、意外と投資そのものに関してはそういう気持ちがないんですよね。
もっと言えば、本当に投資で恐ろしいお金を稼ぐ方は自分のリソースと種銭とをどちらも完全に投資に振り切ってお仕事的にやられている方でしょうから、
私のしていること、目指していることとは全くステージが違いますし、
別世界の住人って感じだなーと思います。
とはいえ、時には違う人生も妄想はしますよね。
これはもう別に愛だ恋だっていう真面目な話ではなく、単なる妄想の話として。
「あー、神様と出会ってなかったら何してたかなー。他の人と結婚したりしてる可能性もあるんかなー。」とか「もし、結婚してても子ども出来てなかったら、どんな風に暮らしてるんだろう?」とか。
もっと言えばかなり若い頃、応援していた芸能人の人がいて、冗談半分でファン同士で「私設ファンクラブでも作るか?」くらいのことを話していたことも昔あります。
誰かが本気の本気になっていたら、最若手の一人だった自分なんかは事務局くらいやってたかもしれません。いや、さすがにそこから何かが発展して・・・までは言わないですけど(笑)そういった集まりには時には同世代の女の子なんかもいましたし、
仮にそういうものがあったら、また違う人との出会いがあって、
まるで違うヘンテコでユニークな人生があったかもしれません。
実際は【まだ自分は人生で何も為していない。誰かを応援するより、今は自分で自分を応援しよう。自分のために生きよう。】みたいな謎の決意がある日湧いてきて、ファンとしてはライトなファンに転んだんですけどね。
でも、ほんとちょっとしたことで違う生き方があったかもしれません。
それこそひょんなことで世の中に名の通った人に出会って音楽事務所に出入りしてたことなんかもあったので、こういうのもそうですよね。
良い方にも悪い方にもどうなってたか分かりません。ボラティリティの大きい人生になっていたと思います(笑)
まあ、と、ここまで大げさな話はともかく、投資等に関しては、妻子が出来て将来を真剣に考えたからこそ、投資や色々な勉強をしている側面はかなり強くあります。
でも、遅かれ早かれどこかで今と同じようなことを学んでいた気もするんですよね。
私は元々伴侶を持つことを志す(っていうのか?)気持ちが芽生えて、縁あって今があるので、こういう人生を別世界でも送っていたかもしれませんが、
それを為すことがないまま、投資に興味を持ってそっちにハマりこんで、
ずっと独りのままだったという別世界はあったかもなーなんて。
そういうことをたくさん妄想していると、「もしかして妻子がいなくて実家暮らしのままだったら億万長者だったかな!?」なんて絶対にありえない妄想まで行きます(笑)
どっちかっていうと失うものがないのでハイリスクなものに手出しをして、
すっからかんになっている可能性の方が高そうですけどね。
何しろ競馬で億万長者を一度は目指したくらいの発想力ですから。
で、話がだいぶずれましたが、色々なブログを拝見させてもらって、改めて思いますけど、大きい資産を形成されている方、FIRE、早期リタイア、投資専業の方なんかは、
やはり独身の方とか、夫婦のみ、少し今風の言い方をすればDINKsの方が多いんだろうなーなんて感じますね。
また話がズレズレになりますけど、この間、芸人のヒロシさんの記事を読んでいたら「子どもが車にひかれそうになった時に身を挺して子どもを守れる自信がないから子どもは作れない」みたいなことを書いていて、ちょっと共感・・・
というか理解出来る発想だなと感じました。
たまーに想像します。山で崖から妻や子どもが落ちそうになった時に私は本当に身を挺して助けられるだろうか。仮に自分の命が失われるリスクがあっても助けられるだろうか。とか。気持ちはあります。でも、自分として自分が生きている以上、自分の命を守るということは生命体としてかなり優先度が高い事柄なわけで、そういった自己犠牲が本能的に出来てしまうのか、逆に本能的に出来ないのか。全く想像もつかない。
とかって書いていると、昔、祖母の家でよく読んでいた三浦綾子さんの「塩狩峠」という小説なんかも思い出してしまいますが。取り立ててキリスト教的な価値観を持っていた祖母ではなかったですけど、何かそういう気持ちが胸のどこかにあったのかもしれません。そういえば三浦綾子さんの本が結構置いてあったのが印象にあります。
・・・ってほど大げさな話ではないにしても、一生命体として自分の生命を長く安全圏に置くにはどうしたって子どもなどを持たずに生きる方が都合は良いよなーと。
それを積極的に選択したわけではない方も多いでしょうが、今の日本社会、世界の状況から見ても、それがある種、理想の答えかもしれないとまで思います。
だから子どもがいないのは下とか、劣っているとかもないですし、
そういう人生だってそりゃありだよな。むしろ理解出来るな。なんてよく思います。
けど、私は「子どもがいて良かった」ってこの間、すごく思ったんですよね。
子どもの写真を親が見たり、親戚などで共有するための有名なアプリ「みてね」というものがあるのですが、これで何気なく生まれた頃から今に至るまでの動画のダイジェストなんかを見てたら、夜中に、まあ、涙が止まらなくなりまして(笑)
驚くほど、気づいたら号泣してました。
お風呂に入る前だったので良かったです。
これ、お風呂入った後で寝るだけだったら、目が腫れてたところだったと思います。
まあ、何で泣いたのかは自分でもよく分かりませんでしたけども。
単に脳がちょっと疲れてただけかもしれません(笑)
でも、強いて理由を考えたら、色々ありましたね。
【こんなに大きくなって立派に育ってるな】
【こんな風に大きく育つことのお手伝いが出来ていて親として最低限は許されてるな】
【あの頃は楽しかったな】
【可愛いな】
【もっと本当は一緒にいたいもんだな】
【あんなこともこんなことも満足に出来なかった。ダメな親だな】
【でもお金のことを考えたら働かないわけにもいかない。淋しいもんだな】
等々、プラスのベクトルとマイナスのベクトルが全部一気に脳内に押し寄せてきた感じで、気づけば感情の整理がつかずに脳内の回路が棄損していましたね。
今は子どももよく話してくれるので、何を考えているのか思っているのか大体分かりますし、話すからこそ愛おしい部分、憎たらしい部分があります。
でも、もうちょっと小さい頃・・・それこそ戸建てを買う前なんかは、
自分で歩いたり走ったりはするものの、喃語くらいしか発しないわけですから、
ただニコニコしたり、泣いたりするだけ。
でも、それはそれで可愛かったなーなんて懐かしく思います。
ただただ寝ている赤ちゃんは癒しですけど、異星人のようでビクビクする部分もある。
それからすると、自分で動いて感情は見えるけれど、言葉は通じ合っていない。
その頃は独特の楽しさがあったなと。
あの時に何を子どもは考えていたのか、
分かってあげられなかったなと思うと泣きそうになりますし、
そんな中で必死に親も子も分かり合おうとしてたことを思い出すと青春(ちょっと違うけども)って感じもします。
今は言葉が通じ合っているので、子ども相手とはいえ、結構親も子もおざなりな会話も出来ちゃって、「無難な日常」が意外と送れちゃいますからね。
それはそれで大人の友達が増えたみたいで楽しいんですけど、
あの頃は独特の楽しさがあったかもなーなんて。
段々眠気のせいもあって何が言いたいかさっぱり分からなくなってきましたが、
(現時点で夜2時半です笑)
子どもは年々可愛く、そして憎たらしくなっているなーと思います。
でも、その可愛さも憎たらしさも日々変化もしているかもしれません。
時に昔を振り返ると、もう戻らないあの頃の可愛さ、難しさが恋しいというか、懐かしい気持ちになって、帰りたくなったり、その時にベストを尽くせなかった後悔みたいなものも湧いてきて、繰り返しになりますが、「脳の回路が崩壊」します(笑)
全く涙もろい性格ではない自分ですら涙が溢れることがあるわけですから、
子どものパワーというのはすごいです。
この先、どんな風に子どもと接していけるか、
子どもや我が神様、そして自分に対してどんな未来を構築できるか。未知数です。
そして妻子のいない人生よりもお金とかリソースという面では苦しい局面も多そう。
でも、脳の回路が崩壊するくらいの色んな感情を自分に与えてくれるのは、
やはり家族という存在。そして子どもの成長。
その体験はどっちが良いとか悪いと単純に言えることではないんですけど、
いなかった時には想像も出来なかった事柄でした。
そんな体験を現時点でもたくさん出来ている。
その1点だけで見ても、(私は)子どもがいて良かったなって思います。
そして私なんぞと伴侶になってくれた妻に感謝ですね。
もっと言えば恐ろしくしんどい思いをして出産してくれたわけですからね。
母は偉大です。って、その時のことを想像したら泣きそうになってきたので、
ここで終了しておきます(笑)
この先、私に下の子が出来るとか出来ないは何とも言い難いですが、
年齢からすれば、可能性はまだありますし、「なし」とは考えていないので、
もしもそんなことがあったら、また精進しないとなと思いますね。
でも、今書いたような濃密な体験がその場合はまたもう1回、1ターンあると思うと、ある意味怖くなってきますね。
しんどい的な怖さもありますけど、
脳の回路がいよいよぶっ壊れになりすぎないかなとか(笑)
ま、という感じでまとまりなく色々書いてみました。
勢い中心で書いたので、これを推敲してある程度、みっともなくない文章に出来るのかな・・・かなり不安が残ります。
出来ていないままの公開となっていましたら、
お目汚しにはなりますが、どうぞお許しください。
(結局、誤字脱字と行の整えのみでそのまま公開になりました)
とりとめのない雑談記事を以上で終わります。
追記:今日は神様が用事があり2人で散歩をしましたが、体力がついたので、
放っておくといくらでも歩くし、遊んでますね。かなり遠い公園まで遠回りしながらついて、そこで充分遊んで更に遠くまで歩きたがりました。
誤魔化して家の近くまで戻ってくるのが大変でした(笑)
また新たな楽しさがありましたけど、公園でもうちょい小さい子を見ると、この頃はまた特別な楽しさがあったなーなんて改めて思いました。
これからもそうやって過去を振り返ってそんなことを節々で感じるんでしょうね。
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